こんにちは、ロスジェネ勤務医(@losgenedoctor)です。
医療裁判の判決のニュースがありました。
82歳の女性が、2015年10月24日の夜に腹痛を訴えて救急受診、医者になって6ヶ月の初期研修医がCT検査など施行して帰宅させたが、症状が治まらないので10月25日朝に再度受診、消化管穿孔ということで緊急手術を行ったが、10月26日に亡くなられた、というケースのようです。
亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。
個人的にこれについて思ったことです。
このニュースをみると、医者なら腹痛出てから2日で亡くなる82歳の下部消化管の穿孔なんて、とても不幸ではあるけど、医学的には救命できないケースいくらでもあるよな、と感じると思います。
しかし後からこういう部分はこうしたら助けられる可能性少しでもあったんじゃないのか?と訴えられると、そういうことはいくらでも出てくるというのもみんな思うことなんじゃないでしょうか。
一方、こういうニュースは、それだけ聞いて抱くイメージと、実際の話とがぜんぜん違うということが多い(というか100%違う)ので、実際にその場に関わった人しか何があったのかはわかりません。
しかしこれだけは言えるのは、こんなひどいことをやる病院、医者は絶対駄目だ、という医者がいたら、現場を何も知らないか、恐ろしく臨床能力が低いか、偽医者か、患者側に立ったフリをしてお金儲けをしようとしている人か、じゃないかということです。
極端にいうと、大学病院の一線級の外科医や救急医達が、毎晩10人体制くらいで救急にやってきた患者さんに都度カンファレンスを行って方針を決めていたら、このケースでも助かった可能性があります。
しかし、それを日本全国津々浦々でできるはずもありません。
必然的に、こういう状況ならこのくらいの医療レベルで許してもらう、という線引きがなされないといけないわけですが、日本の医療裁判の判決の一部をみる限り、そこが非常に曖昧である気がします。
医療×法曹というのはあまりに相性が悪く、しかも法曹の方が絶対的に強者という非対称性から、長い目で見ると医療はどんどん萎縮していくしかない。そして萎縮して困るのは医療の提供者ではなく受益者。しかしフェアは社会としては、それでいいと思う。 https://t.co/jiJpiPvdru
— ロスジェネ勤務医 (@losgenedoctor) September 6, 2021
この裁判官を否定するつもりでも、判決を否定するわけでもありません。どちらにも言い分があると思いますし、紛争の一番の焦点がそもそも医学的なことではないかもしれない。
医者は日常の中の非常事態に出くわす仕事なので、ごく普通にやっていても裁判で訴えられたりする可能性があるんだろうなと、こういう判決をみる度に改めて思います。
我々としては、やるべきことをやれる範囲できちんとやり、どうしようもないトラブルに巻き込まれたら、従容として受け入れるしかない。
なにか侵襲的なことをする際、いくら注意しても起きる合併症というものを患者さんに説明することがありますが、医者にとっても訴訟などに発展するトラブルはそんなことなのかもしれません。
救急など、そういうリスクが高い分野に進むのはやめといたほうがいいか?というとそうでもないと思います。人気がなくなって、人が減ったら、長期的にみると人材として重宝されていいことがあるかもしれない。
「いくら注意しても起きる可能性のある合併症」と同じで、ちゃんとやってて訴訟に巻き込まれるリスクなんて、実際にはすごく低いですからね。
ニュースに過剰に反応してはいけません。
法曹が医療者より権力がありすぎる、という思いはありますが、医学は人の体という、ある意味自然科学を相手にした分野で、どうしても曖昧さが残ります。
病気が良くなるかもしれないし、ならないかもしれない。やってみないと分からない。予想外の合併症が起きるかもしれない。
でも同意書にサインしろ、と言われる。
法律や判決は人間が考え出したものであり、誰か偉い人が○○だと断言すればそれに従わないといけないという、ある意味明快さがあります。
普通の人間にするとその明快さがとても実は心地よいので、僕らからみるといくらトンデモ医療判決が続いても、社会全体としては結局そっちの方が幸せの総量が多くなるのかもしれません。
救急医がいなくなって、夜中に下部消化管穿孔起こしたらもう全員助かりません、という時代が来れば、みんなはじめから諦めがついて、トラブルになることもなくなる。
結局は関わる人全員の幸せの量は、こちらの方が多い可能性があります。
人間が自分の頭で考え出した「法」の運用がこのままの形で続いていくのだとしたら、もしかしたら、人類が本当に目指しているのは実はその方向だということかもしれませんね。