こんにちは、コッカーマリン(@losgenedoctor)です。
衝撃的な判決が出ました。
この事件は1審の段階から特に医者界隈からは注目されていて、1審では無罪になったので安心していましたが、なんと今回高裁で有罪となってしまいました。執行猶予すらないそうです。
上告したようですが、最高裁までいくのでしょうか。
医療裁判に関しては過去にいろいろ議論となるような事件があり、よく例に挙げられるのが大野病院産科医逮捕事件、大淀病院事件、杏林大病院割りばし事件、加古川心筋梗塞訴訟などです。
中にはその裁判をきっかけに、医療側が過剰にディフェンシブになり、医療崩壊を招いたとされるほどのものもあります。
最終的に無罪になったとしても、医師としてまともに働いていた人が訴えられたりしたら精神的にもダメージは計り知れないし、風評被害もあるだろうし、キャリアも無茶苦茶になると思います。
リスクを背負ってでも目の前の患者のために一生懸命働いた挙げ句、被告人という立場に追い込まれて人生が破滅に向かうような事態を受け入れられるでしょうか。
とはいっても普通に臨床をやっていて、実際に訴えられるようなことはそうそう起きることでは有りません。
しかし、「万に一つのこと」が実際にやはり起きることがあって、その結果ひどいことになる、というのを医者は特に実体験として持っていますので、そういうリスクに特に敏感なのかもしれません。
この「乳腺外科医準強制わいせつ事件」の有罪判決で、医者がみんな疑問を呈しているのは、物的証拠が相当曖昧なように見える、という点です。
確かに、断言は差し控えますが患者さんの服に付着していた唾液が、結局どの程度の量あったのか明らかになっていないように思えます。
一方原告の証言を「強い証明力を有する」として重視し、科捜研が出してきた"ずさん"な「証拠」もそれで「問題ない」としているようです。
病院の看護師たちの証言は、病院関係者だから信用できないという理由で退けたということです。
全体の印象として、個人的にはどうしても司法は初めから原告側の証言どおりに事実を認定しようとしていたのではないか?というところが拭えません。
僕は麻酔科医なので、麻酔科医的視点ですこし考えてみます。
この手術の麻酔で使った薬で、公表されている情報から分かる範囲で大なり小なり精神に影響を与えそうな薬としては笑気、セボフルラン、ソセゴンが挙げられます。
ソセゴンの添付文書には「錯乱」の副作用が出ています。
ジクロフェナクナトリウムも添付文書によると錯乱や幻覚という副作用が挙げられています。
ところが、セボフルランと笑気の添付文書には副作用にせん妄や混乱・錯乱といった記述がありません。
これは全身麻酔をしたら、セボや笑気の副作用というよりも、麻酔行為・手術そのもので起きるものとして「せん妄」というものを捉えている、ということではないでしょうか。
今回の判決でも裁判官の心象に、そのあたりが影響を与えた面はあるのではないか、という気がしています。これまでの医療訴訟でも示されているように、「添付文書」の効力というのは相当決定的な意味を持つことがあります。
可能なら製薬会社は「術後せん妄」という副作用項目を麻酔薬の添付文書に付け加えていただきたいと思います。
ちなみにこの手術でソセゴンを使ったのは、ちょっと?だとは個人的には思いました。
手術侵襲そのものもせん妄を起こすことが知られています。術後の痛みや環境変化、心理的ストレス、自由に身体を動かせない、などの要素が絡み合って、脳がバグを起こすのです。
有名な話で、大腿骨頸部骨折の手術を全身麻酔でやっても、脊椎麻酔でやっても、術後せん妄を起こす頻度は変わらないという話があります。
これはせん妄を起こしやすい高齢者を対象にした話ではありますが、全身麻酔薬だけがせん妄を起こさせるわけではないのです。
ともかく手術ストレスを受け、鎮静薬など認知の錯乱を来すような薬を使った患者さんが、通常考えられないようなストーリーを術直後に訴え始めた、というのは100人医療関係者がいたら100人ともせん妄だな、と思う話なわけです。
このケースで実際にどうだったのか、というのはさておき、その原告の訴えを特に優先させて判断したと考えられる今回の判決 を聞いて、まず僕が思ったのは、司直にそんな権力を与えてしまっていいのだろうか、と以前から少し思っていた考えでした。
風邪の研究を怠って、新型コロナで大混乱を招いているのを見ても分かりますが、せん妄という病態を、あまりにありふれていて医療界は放置していたということなのかもしれません。
いくらせん妄でも患者さん本人にとったら現実そのものなので、術前からのていねいな説明や同意書、今後はそれこそ今回のようなケースも想定して監視カメラ設置などは必要なのかもしれません。
認知機能というのは本当に簡単にゆらぎます。
麻酔科ならずとも、医者ならみんな分かると思いますが、何かが見えたとか聞こえたという認知や記憶というのはとてもいい加減なもので、いとも簡単に変わるし変えられます。
ミダゾラム入れて、相当しっかりと喋っていたのにあとから全然覚えていないとか、手術二回目の患者さんが麻酔導入する前、「前はこんなの全然覚えてなかったのに、、」とちょっと不満そうに言ったりするの経験します。
ICUに入っている患者さんが、時間帯によっては自分の同僚と一緒くらい普通の感覚で話せるのに、夜になると大量の虫が壁を歩いているんです、と言うこともある。
そういうことは目の当たりにしないと、多分わからないと思います。
今回僕が率直に思ったのは、すごく優秀でもいわゆる文系の頭で、人文主義というか、人間の叡智を信じるような発想しかできない人間が人を裁く立場にあって、それにいわゆるフィードバックがかからない状態だったらすごくヤバいことなんじゃないかということでした。
司法ってそもそもの設計が、「賢くて偉い人間は、人間を裁くほど偉いのである」ということだと思うんですよ。
違いますか?
いや、そういう前提に立たないと争い事を収められないので、しょうがないとは思うんですが。
ただそもそも自分のバックグラウンドというバイアスから逃れられない存在であるはずの一人の人間が、理論的には客観的証拠もなしで判断を下してしまえてしまう、司法の仕組みというのは大いに問題があると思います。
今回の案件のようなのみると、裁判員制度というのは必要な制度だなぁ、と改めて思いますね。
納得している人があまりいないように見える今回の裁判は、最高裁までいってもっとみんなが納得できる形で裁かれることを望みます。
ただ世の中の流れとしては、入院したらとても読めないような同意書説明書をどっさりと渡されて、全部にサインさせられまくる時代へ進んているのは間違いなさそうですね。
そうなって、得する人は誰もいないと思いますが。