こんにちは、コッカーマリン(@losgenedoctor)です。
僕はまぁ普段からこのブログをやったり、ツイッターでなにか書き込んだりしているわけですが、一つ気をつけていることがあります。
それは
「人の考え方は変えられない」ということを意識する
ということです。
実はこのエントリーにも通じるところがあるんですが。
すごく勘違いしがちなんですが、人が人の考え方を変えようと思って、変えられる可能性ってほぼゼロなんですよ。
それってネットでもそうだし、リアルでもそうです。
人の悪いところや考えの足りないところに気付いて、それを指摘するとします。
言うとおりに行動するどうかは関係性によります。
おとなしく従ったり、反抗したり、聞いてないフリをしたり、まぁいろいろなんですが。
ただ、頭の中で本当に考えが変わったかどうかというと、これ絶対変わってないですよ。
子供ですらそうですよ。
無理やり何かをやらせる、なんていうのは無理です。
幼稚園性くらいでも自分で「やらなきゃ」と思わないとやっぱりやりません。
コーチングの話って、結局全部そこに行き着く。
アドラーの考えにも通じる話ですが。
とにかく人が人の考えを変えることはできない。
僕がいくらこれが正しいと思っても、相手も同じように考えを持つ権利があるし、僕の考えとその人の考えは100%同じ権利というか、値打ちがあるのです。
「馬を水飲み場に連れて行くことはできる。しかし馬に水を飲ませることはできない」
というやつですよ。
こう書くと、自分が上位にいるように聞こえてしまいますが。実際には対等であることを忘れてはいけませんよね。
ただ、ネットの書き込みしている時の自分はきっと「水飲み場に馬を連れて行っているつもり」なのも客観的に理解しておきたいです。
それにカチンとされることもある。
単純なことですが、そういうことってつい忘れがちなんですよね。
逆に意識していると、あまり感情的にならずにすみます。
ネットとの付き合い方の自分なりの極意です。
たまにこう思うようにもしているんです。
どうせ自分もこの相手も、取るに足らない大したことない奴である、と。
いくら凄そうな人でも、ヒトの単なる一個体にしかすぎないわけです。自分と同じ時にたまたま生きているだけの。
あの人はすごいとか。しょうもない奴だとか。
考えたり知らない間に評価してしまっているのは、壮大な無駄です。
そう考えると感じなくてよい感情って結構でてきます。
でもネットの相手に対する怒りとか、本当に意味のないことなんですが、言葉の力ってすごいんですよね。
バカにされたり軽視されるような言葉を投げかけられると、心が簡単に動揺します。
煽り耐性とかいう言葉もありますが。なんかちょっと違う気もします。
なぜネットの相手に怒りを感じやすいのか。
それはいろんな事を削ぎ落として残った「考え方の上下」を変に意識してしまうからかもしれません。
自分の考えを下にみられた!で怒りを感じ、自分の考えが上であると主張して炎上する。そんな感じでしょう。
僕は緑が好きだ!いや私は青が好きだ!
という話では喧嘩は起きないわけです。
上下が無いことが明らかにわかるわけです。
きのこの山たけのこの里論争()がいつも穏やかに進行するのも、それと同じ仕組みですよね。
上下なんてそもそもないんだ、ということを意識すればそもそも怒りが湧くこともなくなります。
ネットで暇潰ししているだけなのに、いちいちストレスホルモンを出すなんて無駄ですよね。