こんにちは、ロスジェネ勤務医(@losgenedoctor)です。
前回のエントリーともつながることなのですが、最近こういうことをよく考えます。
ニュースになった出来事が、自分が実際に知っている話だった経験があると、いかにメディアがいい加減で大した取材もせず、本当の事を伝えるつもりなんて無いのがよく分かる。多分、今ネットで無料で見られるほとんどのニュースは、事実とはかけ離れた内容を伝えている。
メディア発のニュースでなくても、SNSもそう。ツイッターはバズっているぱっと見で面白いツイートばかり見せてくるし、つぶやく人も多少間違ったニュアンスが伝わる可能性があったとしても、いいねがたくさん付きそうなツイートをするように調教されている。
ツイッターなんて一生懸命見ていても、時間に見合っただけの深い知性や知識なんて身につかない。なのに、相当優秀な脳を持った人も、立派な肩書を持つ責任の大きい人も、みんなネットニュースやツイッターを見ている。
これは結構考えてみると面白い。要するにみんな情報中毒なんだと思う。常にネットの情報に晒されて、快または不快な感情を巻き起こす脳内の神経伝達物質が出続けていると、それが脳内で分解されて量が減ったら、禁断症状がでる。
手に持ったスマホを開けばセロトニンなりドーパミンなりを出してくれるテキストが並んでいる。その内容が快でも不快でも、実はどちらでもいいのかもしれない。
とにかく情動を動かし続けたい。そういう中毒になっているのだと思う。 中毒はだんだんひどくなって、結局は自分の時間や、大切な内省的な思考の機会を減らす。
ネット断ちや、瞑想の習慣、そういうことを続けてできるような人はほとんどいない。現代人はみな炭水化物中毒で、いつもダイエットを気にして、中には糖尿病に苦しむ人すらいるのに、自分が炭水化物中毒になっていることを自覚できる人は少ない。
今からでも自分の情報摂取中毒に気付いて、正しい時間の過ごし方を意識的にとる習慣をつけられたら、20年後にはそれができなかった人との間にすごく差ができているような気がする。
「情報摂取中毒」、これは怖いですよね。僕もずっとネットニュースをダラダラみてしまいがちですなんが、見てなにか役に立つ情報なんてほとんどありません。その前に、その情報自体全く正しくない内容であったりして、それをみてああだこうだと考えること自体が全くの無駄である可能性もあります。
それと同じくらいツイッターも見てしまうんですが、確かに面白いんだけど何も残らない。
毎度毎度ネタになるような話題はあるけど、(コロナとかいわゆる"ママ女医"ネタとか)、なにか良い結論がでて世の中が前に進む助けになるようなことはないし、概して時間の無駄といえます。
自分の意見にたくさんいいねが付いて嬉しかったり、同意見の人に褒められたりしていい気分になることはありますが、一日経てば全部忘れています。
でも、また気づけばツイッターをみたり、ヤフーニュースを見たりしてしまう。
これってチェーンスモーカーがタバコにすぐ手が伸びてしまうのと全く同じだと思うんですよね。
何でもいいから「新しい情報」に接して、脳内の何らかの物質をシナプス小胞から出したくて仕方がなくなっている。
情報はあちらからどんどんやってくるし、スマホの機能が上がり、より刺激的なニュースを配信する仕組みがどんどん出来上がり、この流れは収まるところを知りません。
現代に生きている人間なんだから、それに流されていけばいいんじゃないのか?というと、それは違うと僕は思います。
今の情報化社会の流れは、大衆をどんどん情報の渦の中の1パーツに仕立て上げ、それぞれのパーツはスムーズにデータ信号を流すことを期待され、データによる中毒作用によりパーツ自身も自発的にその役割を欲するようになっている、ということです。
パーツは本来自分固有のCPUを持っていて、それを使うことができるのに、単なるデータを流すだけの回路となり下がり、そのうちCPUがもう使い物にならないくらいボロボロになってしまう。
今のGAFAを始めとする巨大ネット企業は、悪意はないのですが、そのように世の中を変えていく動力を持っています。
それが世の中を良くすることである、と彼らは思っているのでしょう。
しかし、こういう"存在する価値"にまで及ぶ大きな社会の流れを意識し、それに飲み込まれないような習慣を身につけていくことは、将来大きな差になって現れると僕は思います。
20年後の自分が、次の瞬間自分の頭で考えることは、全部実はグーグルが前もって分かっているんです、というのはあまりにつまらないと思いませんか?