こんにちは、ロスジェネ勤務医(@losgenedoctor)です。
「ぼくのニセモノをつくるには」という絵本に、すごく印象的なページがあります。
そう、自分の頭の中だけは自由です。
どれだけ絶望的な状況で虐げられていても、人間は頭の中だけは自由でいられるはずです。
いくら科学技術が進んでも、人の考えを外部から強制的に変えることは物理的にはできない。
農耕社会成立以降の人類は、基本的に権力や暴力を持つ一部の相手から自由を奪われ、搾取されてきた歴史があります。
しかし体の自由は奪われても、心のなかでは不屈の自由な心を失わず、革命を経て今の自由主義の社会を築き上げました。
欧米なんかで当局の指導に反し、一般の人々がマスクを外し、たくさん集まって騒いでいるのは、彼らがその自由の精神をまだ忘れていないからではないだろうか、と思うことがあります。
他国や多民族、他の宗教との争いの歴史がずっと続いて、何よりも自分の頭の中の自由だけは失ってはならない、ということがDNAに染み込んでいるのかもしれません。
日本は基本的にそういった国とは違い、他国との争いの歴史はそこまで激烈ではありません。
他宗教の信徒を皆殺しにした、というような凄惨な出来事もユーラシアの国よりは少ない。
なので「自由」の価値を、相対的に重要とは思っていないという可能性があります。
頭の中の自由を尊重しないことは、実は自分の頭を使わないことに繋がるんじゃないか。
とくにコロナのような自由を強制的に奪われるような事態において、とにかく自分の頭でこの問題に対して考えるということをせずに、なんとなく決められたことに従っておこう、という行動に繋がりやすい気がします。
周囲の人たちをみているだけでも、コロナというものに対して、マクロなものの見方をできている人はすくない。
「ワールドカップ見ていたら、みんなマスクしていないね」
とは言いますが、なぜそうなってしまったのかの文脈を深く考えることはしません。
そして、みんなが自分の考えというものを持っていないので、自分も同じように思考停止になってしまう、ということになる。
日本は島国で、地政学的にも地形的にもとても運のいい場所にあったせいか、普通の人達がそんなに頭を使わなくてもうまく発展できてきました。
なので自然と普通の人たちの中で、自由を欲する気持ちが起きない。
自由を欲する、といことはまさに自分の頭の中を、自分で自由にコントロールするということです。
本質的には多分頭を極力使いたくない人が多い、ということなんじゃないかと思ってます。頭の中だけは自分のものなので、つまり自由がない中でずっと生きている。頭を使うなと言われ続けて何十年もすごし、それなりの成功体験が重なるとこういう国民が出来上がる。
— ロスジェネ勤務医 (@losgenedoctor) November 29, 2022
自由に自分の頭の中をコントロールしたい、という欲求がないから、統一教会のような組織にマインドコントロールされる人も多いのかもしれない。
統一教会の話と、マスクがずっと外せない日本社会というのは実は関係があるのかもしれません。
あと、年をとるとどんどん頭を使いたくなくなります。
新しい事を考えるのは、すごくエネルギーがいるからです。
日本社会は高齢化して、僕なんかでも全世代からすると若い方といっていいくらいですが、それでもおじさん的思考停止に陥りがちです。
新しいことはとにかく面倒くさいのです。
そんなマジョリティが思考停止を欲する人間な以上、今のようにマスクをとりあえずしてこうという惰性が続くのは仕方がないのかもしれません。
そんなことを考えました。