ロスジェネ勤務医の資産形成ブログ

ロスジェネ世代麻酔科医師のコッカーマリンです。資産形成や日々のことについて感じたことを書き綴ります。

自由主義的価値観は当然のように少子化へ続く

こんにちは、ロスジェネ勤務医(@losgenedoctor)です。

 

こんなツイートがあって、なるほどなと思いました。

 

 

これは非常に難しい問題を示唆していて、要するにみんなが自由に自分の為に生きることを肯定されたら、かなり多くの人は結婚したり子供を生み育てることを選ばず、当然のように少子化は起こるよな、ということですよね。

 

昔は特に考えることもせず当然殆どの人は結婚し、当たり前のように子供をつくっていました。

そこに

"結婚するかどうか?"

"子供をつくるかどうか?"

ということをいちいち考えない

というのが重要であったように思います。

 

個人に対して、考える余地を与えない。

独身のまま年をとった人間には「お前は半人前だ」みたいな圧を与えて、社会的にじわじわ強制する。

 

文明が発展し、産業革命が起こり、生活が便利になり、いろいろな情報が入ってきて、人間は実質的には様々な人生を選べるようになりました。

そうであるからこそ、ある意味フェアではない前述の社会的な圧をかけないと、多くの人が子供をつくらない選択をしてしまう、というのはほぼ決定的だったのだと思います。

 

「個人が自由な選択をできることは素晴らしくて、尊重されるべき権利だ」

「みんな違ってみんないい」

 

こういう自由主義的な考え方が広がり、それが"正しいことである"というのが社会の常識になると、独身で何が悪い!、と思う人は増えるし、堂々と自分の子孫を残さない選択をする人がむしろ多数派になっていくかもしれない。

 

確かに、子供を育てると、喜びもありますがむしろそれ以上に大変な時期がかなり長くあります。自分以外の人間の生活を支えるという責任も伴うし、自分のやりたいことはできなくなるし、自分の時間なんてほとんどなくなってしまうかもしれません。

 

いくら大変だとしても、すでに結婚して自分の子供がいる人は、もうどうしようもないわけですから、「それでもこの笑顔が見られただけで、自分の犠牲には価値があったんだ」と思うほかありません。

そのようなことは定量的には証明できず、単に自分がどう思っているかだけに依存する結論なので、それはそれでOKです。

 

しかし、まだ結婚していない人、子供がいない人が、「自分」をとるか、「子供の未来の時間」をとるかの選択肢を与えられてしまうと、当然「自分」を選ぶ人が一定数出るはずです。

未来が暗いと巷でこれだけ言われているわけですから、「暗い未来に自分の子供を送り出すのはかわいそうだ」というような理由も十分考えつきます。

 

結果的に少子化となり、働き手の世代が相対的に少なくなり、国の力が衰えていき、日本という国は更に衰退していくでしょう。これはそうなる可能性がある、というような話ではなく、絶対そうなるような話なのです。

 

ここで重要なのは憲法には「健康で文化的な最低限度の生活を保障する」という一文があることだと思っています。

つまり「独身で自分のためだけに生きます」という選択をした人が、年をとって自分で自分の面倒をみれなくなりました、というような場合にも、最低限度の生活は国は保障する必要があるということです。

有り体にいうと、生活保護ということになると思いますが、とにかくその原資はその時の働き手が生み出す生産に依るしかないはずです。

 

つまり、それぞれが自由な選択をできるという社会でも、たとえその瞬間は自分が自分の生活を十分支えられていたとしても、長い目でみると、最後には国に生活保護で支えてもらえるという原理原則がある限り、次の世代を生み出さない人は社会の福祉にタダ乗りしているということになるんですね。

キツいことを言うようですが、これは揺るぎようのない事実であると思います。

 

"もへもへ"氏がいうように、ある生き方がある生き方より「優れている」とはっきりいうこと、それを社会的に当然とすることは、本当は必要なのかもしれません。

ただこういったことは大いにポジショントークになりえるし、なにより自由主義的な考え方を否定することになるので、とても難しいとは思います。