こんちには、ロスジェネ勤務医(@losgenedoctor)です。
5歳から11歳の子供に対する新型コロナワクチンの接種が承認されます。
重症化のリスクが相当に低い小児に対して副反応強めのこのワクチンを打つ、というのはみなさんなかなか悩むところだと思います。
本当にどの程度安全だと断言できるのか、副反応はしんどくないのか、周りのみんなは打つんだろうか?などいろいろと考えると、正しい判断がちゃんとできる人なんて本当はいないと思います。
どこかで思考停止になって、決めてしまうしかない。
10万分人に1人しか副反応起きませんよ、でも起きたその子は死んでしまいますけど、と言われて、じゃあ大丈夫か!!とは、親なら普通はならないでしょう。
実際はお友達の誰々ちゃんは打ったよ、あの子も打ったよ、じゃあ大丈夫かな、うちも怖いけど打つか...といった感じでみな決めるんじゃないでしょうか。
社会みんなで打つと決めたことは、多くの場合やはり個人としては基本従うしかない。同調圧力といえばそうですが、それも一つの正しい選択だと思います。
個人としては不安だけを押し付けられているような気になって、それがみんなのモヤモヤにつながるわけですが、しょうがない。
大人だと実際にコロナ感染して重症化するリスクかなりあるので、話はもう少し簡単なんですけどね。
もっと違う視点から、一旦自分事でないこととしてみると、本質的に新型コロナワクチンに関してはワクチンを打つか打たないかは、いまや本質的にはどうでもいいレベルのことだと思うんですよ。語弊ありまくりですが。
反ワクチンだと誤解されそうですが、そうではなくて、「ヒト」という種にとって新型コロナという感染症は、そこまでの淘汰圧ではもはやないということなんです。
もはやというか、初めからそうだったのかもしれません。
死が遠ざかり、命の価値がインフレた現代の発達した文明の中で、新型コロナ程度の淘汰圧にもヒトという種は右往左往しています。
しかしヒトがヒトたる一番の特徴は、自分たちで考えて地球が用意した環境を作り変え、経済を発展させて元々支えられる以上の人口を保っていることです。
文明や経済が発展していなければ、今の地球上の人口は支えられません。
例えばカブトムシは、木が減って住む環境が変化したことで昔より数が減りました。人間は寒くなったら温かい服を発明して、火を使えるようになり、住む家を建ててむしろ数を増やしていく。
要するに本質的に「経済か命か」みたいなコロナ議論はナンセンスで、経済そのものが命なのです。
これはとても重要なポイントです。
ワクチンの議論もそういう俯瞰的な眼から考えると、「ワクチンを打ったら死なない人が、ワクチンを打たなかったせいで死んだ」みたいな例は沢山あると思います。
しかし、「ヒト」の種としての存続にとっての重要度から考えると、全体からみるとそれはとても取るに足らないことに過ぎません。
一方で現代の普通の感覚からいくと、「命あっての物種」という言葉もあるように、死を避けることはとても重要なことです。
かといって、ワクチンを打つか打たないというような、もっと高い視点からみるととても取るに足らないようなことで、ワクチンを打たない人の人格を否定するようなことはあってはならないと個人的には思います。
子供のワクチンの話に戻りますが、子供の場合は(敢えて言いますが)さらに「命の価値」が高く、少しでもリスクのある事柄に関する選択には慎重にならざるを得ません。
僕個人としてアドバイスできるとすれば、きっと「正しい判断」なんて誰にもできないから、ふわっとした感覚で決めてもいいんじゃないか、ということです。
自分の判断が正しいと思いすぎると、違う判断をした人を否定することに繋がります。
生物としての特徴が、「社会的生物」である人間にとって、それが一番避けなければならないことです。