こんにちは、ロスジェネ勤務医(@losgenedoctor)です。
先日からこのnoteがTwitterで少し話題になりました。
すごく理路整然とした書き方で、自分が生活保護をどういう考えで受けているのか、生活保護を受ける際の社会上の抵抗に対して、個人としてどのように考えれば良いのか?という理論武装などが書かれてあります。
はてなブログのトップエントリーで知って、すごく面白いなと思ってシェアしたら、やたら僕のそのツイートがバズって、なんでこっちがいいねたくさんつくんだろう?とちょっと不思議ではありました。
現役世代の人は全員一度読んだほうがいいhttps://t.co/wINtyCPXP5
— ロスジェネ勤務医 (@losgenedoctor) October 22, 2022
ちなみにエントリー主のTwitterアカウントはこちらです。
このnote記事、読んで初めて知ったようなこともあるし、一番面白かったのは、
"憲法22条・職業選択の自由および憲法25条・生存権に基づき、すべての国民は「無職であるまま健康で文化的な最低限度の生活を送る権利」を保障されている"
という部分でした。
これはちょっと僕も考えたことがありますが、やはりそうなんですよね。
日本国籍で日本に住んでいる限り、憲法で保証された「健康で文化的な生活」が送ることが保証されている。
そして、働いて給料をもらうことは、別に義務ではなく、無職でいる自由だって保証されている。
↑この2つのあわせ技で、憲法を厳密に解釈すれば働ける状態であっても働かず、生活保護をもらうのは全く日本国民として問題がない、ということになります。
じゃあ給料が安い奴は働かずにみんなで生活保護受けようぜ!ということにはもちろんなりません。
このエントリーの主張は、当たり前ですが「憲法のバグ」を突いたハックであり、社会としてこんなことができないように穴を埋めていく必要があります。
つまり、このnote記事が重要なのは、「数少ないハックを知っている人だけがタダ乗りできる状況を、みんながその情報に殺到してハックを実践しようとすることによって逆に潰そう」という動きのきっかけになりえるからです。
このツイートもとても興味深かったです。
「資本主義は、実は人間は生きる上で労働の義務を果たすべきであるという社会的圧力によって成り立っているのだ」
という考え方は、とても新鮮でした。
これは日本に限らず、人は生きる上で労働の義務を果たすべき、というひとつの社会的圧力によって成り立っている資本主義の根本を揺るがす問題かもしれませんね。
— わかば (@cnraiUWPAq3tkSI) October 23, 2022
現代社会における労働意欲の低下が表面化したことで歴史的なインフレ問題に直面しているのが、現在のアメリカではないかと考えられます。
憲法通りなら、別に働かなくてもいいのに、安い給料で頑張ってみんな働く。
みんなが別に贅沢したいと思っているわけではないのに。
それは見えない社会的同調圧力にやられているだけなのかもしれません。
あと、ツイートにも書きましたが、生活保護費が最低賃金で働く人の可処分所得よりも多くなるというあってはならない事態は、よく考えたら経済がずっと落ち込んでいる民主国家では当然起きることなんですよね。
日本は昔は豊かで、そのせいか社会保障の仕組みを後先考えずに設計して、それが今現在高齢者の高い年金を払うために苦しむ現役世代、みたいな感じで表面化しています。
それは実は生活保護も同じで、豊かな時代の感覚での「文化的な最低限度の生活」を保証して高止まりさせてしまうと、それは今の感覚ではすごく高いということになるし、時代が進むにつれて日本が貧しくなって、どんどん現役世代の可処分所得が減って行けば、いつか生活保護が最低賃金より高くなってしまう、ということなのです。
日本ほどの大国で社会保障が厚く、しかも世界最高峰レベルから経済が落ち込み続けているようなケースは世界史レベルでもほとんどなく、こういう明らかな社会政策上のバグは非常に深刻なものになりえます。
本来の意味での憲法が保障する最低限度の生活、というのは、個人的に考えると、今ならば生活保護の人を全員を巨大な一部屋3畳ほどのアパートに集めて、現金はほとんど与えず、食べ物は3食広い食堂で出すだけ、というような形が妥当だろうと思いますが、どうでしょう。
それなら集団で暮らす分、生活コストは節約できるはずだし、今よりもっと少ない生活保護費で管理できるでしょう。そんな生活はしたくない、と国民に思わせることも、もちろん実際上は重要なわけです。
そして、「最低限度の文化的な生活」は、それでも十分可能である、と政府ならしゃあしゃあと本来言えるはずなのです。
そんなもの客観的な定義なんてあるわけないですしね。
そもそも、なぜこの憲法のバグを突いたハックを阻止すべきなのか?というと、これは明白で、みんながこんなことをやって「生産」をすることから逃げ出したら、国が経済的にも文化的にも弱くなって、軍事的にも弱くなり、外国に滅ぼされてしまうからです。
これは全く極端な話ではなく、弱い国は常に滅ぼされてしまう可能性をいつも考えておく必要があります。
中国のミサイルは、生活保護の人も、一生懸命働いて税金を納め、家族を養っている人も区別せずに殺すでしょう。
憲法の精神や、法律のごちゃごちゃしたこと、ベーシックインカムの議論などばかりを深く追求していると、頭でっかちになって、そんな当たり前のことすら逆にわからなくなってしまいます。
しっかりと国民の間で議論し、国を弱くするような社会のバグはどんどんなくしていかなくてはなりません。