こんにちは、ロスジェネ勤務医(@losgenedoctor)です。
以前から思っていたのですが、日本のコロナを振り返ると、太平洋戦争の敗戦の歴史ととてもよく似ていることがわかります。
やたらと序盤に調子よくて、世界と違う日本独自のやり方がいいんだと自信を深める。初期の保健所を中心とした感染者と濃厚接触者の特定、クラスター対策はうまくいきました。
NHKスペシャルで迫真のドキュメンタリーが放送されて、僕も当時みてすごいなぁと思った記憶があります。
確かに初期の、まだ感染力が低かった株の時はあれでなんとかなりました。
日本は世界的に見ても、感染者や死者は相当抑えられた方で、イタリアなどが酷いことになっているのを対岸の火事のような気持ちでみんな見ていたと思います。
そしてこのまま人力と根性でやっていけば最後には勝てるとみんなが考えてしまった。
そしていまだに続く「濃厚接触者」文化が根づいてしまいました。
一方アメリカ、ヨーロッパは始めは大変な事態に陥ってしまいました。
ナチスにやられ、真珠湾攻撃にやられた、というところでしょうか。
しかし、特にアメリカなんてみていると、その対策をしっかりと練り、すぐ巨大資本がテクノロジーを後押しして、とりあえずの解決策を提供しました。ワクチンです。
高齢者など、本当にこのウイルスでバタバタと亡くなってしまうような人に提供し、とりあえず最悪の事態にならないよう、国民に道具をちゃんと与えました。
そしてデータを冷静に分析して、途中でやり方を変えて反攻しました。
どうせ蔓延の防げない、大したリスクもない感染症に振り回されるのはコストベネフィットが合わない、と考え方を変えたということです。
国民はその間も一部はどんどん亡くなっていくわけですが、結局は国民の間にコンセンサスがとれているから、そういう方針で進むことができたわけです。
国の未来のためにならない後ろ向きな、誰も嬉しくならないことを主張する言論は結局アメリカでは受け入れられない。
一方日本では、国の表向きの”正しいこと”、つまり”大本営発表”の通りに多くの国民が行動して、しまいにはお互いに監視したりもしてしまう。
高齢者を守りましょう、命を守る行動を、マスクアルコールやりましょう、不要不急で出かけるな、やらなかった人が感染するんだ、お互い監視しましょう、感染した人の周りは汚れているから全員絶対大丈夫になるまで出てくるな。
極端に言うとそういった具合です。
しかし、コロナが長引いて、性質も変わってきて、ワクチンも真面目に打つのに、ずっと同じ。というより感染する人はどんどん増えて、生活はどんどんしにくくなる。
なんかおかしなことやってないか、日本だけ??みたいに皆思い始める。
実はみんな、「全然うまくいっていないこと」に気付いているんですが、公的に認める勇気がリーダー層にありません。
今のやり方を否定したらずっと間違っていたことを認めることになるからですよね。
とにかく柔軟に変われない。
戦時中戦争礼賛を行った朝日新聞のように、国の言っていることをそのまま煽る医クラみたいな人たちが大きな声を持ったりもします。
命を守る行動を!と叫ぶのと、○○戦線で帝国陸軍大勝利!と喧伝するのは、全然違うようで根っこでは同じなんじゃないかとすら思ったりします。
昔から言われていることですが、日本にはリーダー教育が存在しないので、日本を引っ張っていくべき知的リーダー層のレベルが低いんじゃないかと思ってしまいます。
日本だけで完結していた時代は問題なかったけど、明治維新以降、世界と伍していく段階になると、これがとても問題です。
結局太平洋戦争に突入してしまい、あの大敗を喫したのも、こういったところに根本原因があるんじゃないかと言われていますよね。
とにかくすごく似ていて、日本という国は全く変わっていないし、こういう国民性なのだろうと思うしかありません。
日本人がみんな思っているほど、日本という国はそんなにすごい国ではない。
この後もこの構図が続くのだとしたら、一度完全に「我々が間違っていた」と全員が認め、経済焼け野原から再び立ち上がるしかないと思います。
太平洋戦後の日本は、運も味方して、そこから大きな発展を遂げました。
しかしそこはまだ未来のことですから、全く分かりません。
北方領土をソ連に取られたみたいに、今度は本州を中国に取られてしまわないか心配になります。