ロスジェネ勤務医の資産形成ブログ

ロスジェネ世代麻酔科医師のコッカーマリンです。資産形成や日々のことについて感じたことを書き綴ります。

我々はヒューマニズムという宗教に支配されている

こんにちは、ロスジェネ勤務医(@losgenedoctor)です。

 

先日の自分のツイートを眺めていて、我ながらよく書けているな、と思いました。

引用です。

 

もうすぐ日本でもコロナは2類からはずれて特別な病気ではなくなるし、そろそろ結論が見えてきた。

コロナは初めは本当に怖い病気で、国民は皆思考停止になり、自分達を導いてくれる存在として医者を崇めた。

自粛を余儀なくされてネットのテキストばかり見ていると、目立つ医者インフルエンサーの存在を知る。

 

なんだか優秀そうだし、医者同士で賢そうなやりとりやっているし、信用できそうなのでフォローしてみよう。

Twitterのアルゴリズムの変更もあり、そういうインフルエンサー医師が多くのユーザーに「おすすめ」され、さらに「影響力」がインフレしていった。

彼らは教祖のようになり、たくさん書き込むうちに全く間違ったことなどを言ったりするのだが、教祖が間違いを認めるわけにはいけないので、ありとあらゆる詭弁を弄して議論を煙に巻くようになっていく。

 

いっぽうコロナはどんどん感染し易くはなるが、肺炎にはなりにくくなり、見方によっては一時的な急性上気道炎を起こすだけの風邪ウイルスととれるようになってきた。

しかし教義の根本とも言える「コロナウイルスの蔓延を防がなければいけない」という前提を覆されたら、教え自体が瓦解してしまう。

 

なのでオミクロンになってすら、教祖たちは「コロナは怖い」と唱え続ける。しかし教祖たちの教えのとおりにしていても全然「救い」は訪れないし、信者たちも疑問に感じ始める。

いくら祈って炎天下マスクをしても周りでどんどん感染者が生まれる。とうとう信者の数が減り始め、教祖たちの教えを支えてくれていたはずの感染症学会がとうとう「コロナは風邪」と言ってしまった。

 

教祖たちは「自分たちは教祖ではない、科学的事実を述べていただけだ」と今も言い続けている。かつての信者たちも今はもう興味を失い、眺めているだけだ。かくしてコロナで生まれた医クラインフルエンサー教は消えていく。しかし、国民の中に根付いた医者ヘイトの気持ちは無くならない。

 

果たして、僕がこの中で述べている「教祖」というのは本当に存在するのでしょうか。

というより、こういう文脈で「宗教」を持ち出してくるのは、果たして正しいことなのか。

 

 

大前提として、この世界はすでに「ヒューマニズム」という"宗教"に覆われています。極端にいうと、「人の命は地球より重い」というやつです。

人の命には最上の価値があり、人権はお互いに守らなければならない、人は生まれや人種、性別に関係なく平等である、という考え方は、素晴らしい考え方ですが、特段に人間が生まれながらに備えている普遍の原理でもなんでもなく、人類の歴史からいうとこの考え方が支配的になったのはこの100年にも満たない間の出来事なんですよね。

 

それ以前、例えば十字軍の時代では、神に救われるのはヨーロッパ側からするとキリスト教信者だけで、異教徒であるイスラム教徒の人権なんてまったく認めなかったわけです。

そういう考えが人々の頭を支配していたんですね。

 

日本でも武士が農民を斬り殺しても罪に問われない時代はそんなに昔のことではありません。その当時は、殿様が生まれながらにすごく偉くて、選挙なんてなくて、とにかく農民は従わなければならない、と皆が信じていたわけです。

 

皆が信じていて、明文化もされていない共有された、議論になりさえしないルールに従うならば、それはまさに宗教で、その時代の絶対的なルールになります。

むしろみながそのルールに従うからこそ秩序が生まれ、人類が進歩できるのです。

というより、メンバー全員が人間の存在を超えた何かに従うことでしか人間はまとまることができず、すごく弱い存在になってしまうのです。

 

「ヒューマニズム」は、まさに今のみなが当然正しいと思っている教えであって、今の宗教だといっていいと思います。

 

それで人類みなが繋がっている。いろいろな宗教や人種、政治的立場の人が世界で一つになってつながるためには、全員が同じ「人間である」という点を利用するしかないのでしょう。

現代に生きる人間は、それに疑問を挟み込む余地はなく、ロシアのプーチンでさえ「ウクライナ人は皆殺しにしてもいいんだ」とは公的には発言しません。

 

時代が進んだから、より人間として正しい行動ができるようになったんだ、という意見もあると思いますが、それは結局そうするだけの余裕があったからだと思うんですよね。

つまり、農業革命、産業革命で多くの生産ができるようになり、人類は多くの人間を養うことができるようになりました。

十字軍の時代には飢饉が来るたびに何万人も人が普通に死んでいたわけですから、働けない老人や、障害者、言葉の通じない外国人の生存権を守るなんてことは物理的に無理だったわけです。

 

それが今では人類に余裕があるので、多くの人間が衛生的な環境に守られ、栄養も十分で、寿命まで長生きできるようになり、この現代の「ヒューマニズム」という教えが広まることになりました。

 

 

今はちょっと雰囲気変わってきたんじゃないかなと実は思っています。

「ヒューマニズム」自体は変わらないにしても、ロシア中国のような独裁国家と資源国がそれぞれ力を持ち、ヒューマニズムを広めたい西側諸国と真っ向から対立する関係になってきました。

 

今でも世界中で老人はコロナで死んでいるが、それは諦めて社会は運営する。

戦争や物流の混乱、独裁国家・西側諸国・資源国等の間のミニブロック経済化の影響でのインフレ、明らかに世界大戦へのハードルが下がったように感じられる世界情勢、とにかく世界のルールは変わった。

 

結構日本人はそれに気付いていない。中国とロシアに両方接している数少ない先進国である日本に、オミクロンコロナに狂騒する余裕なんて全くないはずなのに、未だに90才の女性がコロナで亡くなったことが社会問題である、と言っている人がいる

 

とにかくルールが変わりつつあると感じます。

僕が冒頭で揶揄した「教祖」たちは、自分たちこそ絶対普遍の真理を述べていて、反対意見の人はそれが分かっていないんだ、と思っているのでしょうが、「90才の老人でも助けなければいけない」というヒューマニズムは、絶対的に正しいことである、と妄信的に信じず、すべての「考え」は結構相対的なものであるんだ、と理解しておくことが重要でしょう。