ロスジェネ勤務医の資産形成ブログ

ロスジェネ世代麻酔科医師のコッカーマリンです。資産形成や日々のことについて感じたことを書き綴ります。

手続き化した店内入室時アルコール消毒

こんにちは、ロスジェネ勤務医(@losgenedoctor)です。

 

一旦日本ではコロナが落ち着いたように見えて、街へも人が結構出てきていますね。

もうどこへ行くにも週末は大渋滞です。

 

お店に入る時にアルコール消毒をするように促されたり、検温をされたりする所が多くて、それはコロナがこれだけ落ち着いても変わりませんね。

お店としては、いろいろな理由でコストをかけてもこれはやらないといけないのでしょう。

 

見ていてよく思うのは、もうあれって「手続き化」してるよなぁ、ということです。手続き化してるからこそいいのかもしれないけど、正直本当に意味があるのか微妙だと思うし、なんとなくコロナ感染者が減ってくると明らかにみんないい加減になる(やらずに入っていく人が多かったり)んですよね。

 

病院での院内感染を防ぐのに、1処置1手洗いを専門家相手にあれだけ啓蒙しても難しいのに、大量の一般人に大してアルコールの手洗いをさせて意味があるとは僕には思えないです

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ただ、一回始めたあれを、"やめましょう"とはなかなかなりにくい。弊害も多少有るとはいえ、さほど大きな問題になることは少ないし、もうあれが「ポリコレ」になってしまっているからです。

民主主義が発達した社会では、"どう議論してもみんなが正しいと言わざるを得ないこと"がすごく力を持ってしまいますよね。まさにそれがポリコレってことなんですが。

SNSの広がりというのも侮れない影響があると思っていて、あれってポリコレの強化作用がありますよね。「正しいということになっていること」が「正しいということになっていること」でどんどん上塗りされていく、というか。

 

アルコール消毒なんて、「そんなに意味なさそうだし、手荒れもするし、ちゃんとやらん人もいるし、革の鞄についたらあとが残るし、やめましょうよ」という意見は、「意味ないというエビデンスはないし、肌荒れする人はクリームを別に持っていたらいいし、みんなをもっと啓蒙してやらせればいいし、革の鞄を使うのは自己責任だろ」という意見に比べるとだいぶ弱い。

なので反論されにくい、「店内入り口でアルコール消毒にご協力を」が永遠に残り続けることになります。正味の意味があるのかどうか、もうどうでも良くなっている。

永遠かどうかは知りませんけどね。

 

検温もそうです。あんなに一瞬で手首に当てたセンサーで体温がちゃんと分かるんなら、私達が患者の体温どうやって正確に測るか悩んでいるのが馬鹿みたいです。

みんな「これおかしいよな」って思っていても、もう社会の空気に逆らえない感じになっています。

 

有り体にいうと、同調圧力っていうものなんでしょうけど、それって多分日本はキツくて、ヨーロッパやアメリカなんかでは弱いんだと思うんですよね。

ちょっとコロナが減っただけで、もうあちらではみんなマスクしなくなる。それこそ、マスクを着けるかどうかはその人の自由であり、人の選択にとやかく思わない/言わないというのが染み付いているんでしょう。

歴史からなのかもしれませんが、欧米社会の文化では「自由」の価値は「命」の価値と肩を並べるくらい重要なのでしょう。自由のためなら、死んでもいい、と。

 

ワクチン義務化の話なんかも議論がありますが、

本当に難しいですよね。

中国や北朝鮮のような独裁国家の方が、このSNS民主主義社会ではむしろ合理的に動けるというのは、とても皮肉ですよね。

 

ただ、ヨーロッパやアメリカの人はマスクをすぐ外して、すぐ感染広げるバカで、日本人はきちんと真面目にコロナ対策するから偉いんだ、という意見は良くないと思います。それはコロナ以前の長い歴史で培われた「違い」であって、どちらがいいも悪いもない。

実際に、経済の回復は日本が一番遅れていて、これは全く褒められたことではないのです。