ロスジェネ勤務医の資産形成ブログ

ロスジェネ世代麻酔科医師のコッカーマリンです。資産形成や日々のことについて感じたことを書き綴ります。

医局をドロッポした理由

こんにちは、ロスジェネ勤務医(@losgenedoctor)です。

 

僕はもともと麻酔科医として大きめの医局に属していたのですが、このブログを始める数年前にドロッポしました。

そしていまや立派なドロッポ医です。

 

今は、

「大学病院で研究を教育と臨床に励む」

「医局から派遣された大きな病院で頑張って働く」

などの王道ではないやり方で医療の世界の端っこで働き、こんなブログ書いて世間様に対して管を巻いております。

 

タイトルの「医局をドロッポした理由」ですが、いくつかあります。

  • 当時の教授の為に頑張る気に全然なれなかったこと
  • 「こうなりたい」と思う先輩医師が医局の中にあまりいなかったこと
  • 研究して論文書いて、どこかアカデミックな場所で将来落ち着きたいとは思わなかったこと
  • 医局絡みの関連病院の中に行きたいと思えるポジションが無かったこと

などがあります。

「教授の為に頑張れるかどうか」みたいなこと、意外と重要だったりするんですよね。

 

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しかし言ってしまえば上のようなことが当てはまる人はたくさんいると思います。

実際に医局を離れるかどうかは、たまたま行く先が見つかるかどうかということとか、結婚みたいにタイミングとか勢いも重要なのでしょうけど。

 

あともう一つ僕が頑張れなかった理由があります。

今回のコロナの医療崩壊の議論でも出てきたように、日本の医療、というよりも現代の医療そもののが宿命的にとても生産性の低いものである、という感覚でした。

 

普通の会社なら良いものを作って利益が上がり、その利益でさらに良いものを作り世の中がより良いものになるというイメージです。

しかし大学病院などで行われていた医療は、医療で助けるようなレベルでないような状態の人にジャブジャブお金を大量に使い(ほとんど税金です)、結局ICUで長くみた挙げ句亡くなる、というようなものでした。

 

もちろん結果的に助かるような人もたまにはいますが、圧倒的にコスパが悪いと思いまいました。日本にとって良いことをしているんだろうか?というモヤモヤした気持ちががずっとあったんですよね。

 

治療にいくらかかっても、医療者はみな自分の給料からお金払うわけではないですからそういう部分に関しては無関心です。我々はとにかく専門的医療知識で患者を助けるのが仕事なんだからそれでいいんだ、という思いなのでしょう。

しかし現代医療はテクノロジーが進化して、個人のスキルよりもお金をかけたら治療がうまくいきやすい、という面もあるので、費用に関して無関心でいることは僕にはちょっと無理でした。

 

そして世の中のそういう状態の人がみんなそういう高額な医療を受けられるわけではなく、たまたま大学病院にたどりついた一部のそういう人がそういう医療を受けられるということなのです。

そう考えると、我々はそもそも何をやっているんだろう?という思いがずっと離れませんでした。

 

助かる人がいるんだからそれでいいんだ、という考え方はあっていいと思います。命は素晴らしいものだし、医療を行っている間は懸命に頑張りましたし、助かってよかったと感動したこともたくさんあります。

 

しかし、その場でこれからもより頑張って、少しでも助かる確率を上げて症例を増やしていって、というモチベーションがどうしても湧かなかったんですよね。

国のために、人々の為にいいことをしているという感覚を感じられない状態では頑張りに限界がありました。

 

一般病院にでて、部長にでもなって管理職やるというのも素晴らしい仕事とは全く思えませんでした。管理される気のない医者という職種の人間を管理する、という事自体無理があると昔から思っていて。

 

要するに、自分がこれからもやっていくであろう医療の仕事が、人生を懸けてやるほど素晴らしいものに思えなかったということでしょうか。

どうせ世の中の為にならない仕事なら、医局に属していろいろとやらされるより、おこぼれに預かるような場所で働いて家族と過ごす時間が増えたほうがいいな、と思ったと。

 

今でも旧職場で働いている人たちの話を聞いていると、なにか申し訳ないような気になることもありますが、自分の幸せは自分にしか決められません。