ロスジェネ勤務医の資産形成ブログ

ロスジェネ世代麻酔科医師のコッカーマリンです。資産形成や日々のことについて感じたことを書き綴ります。

ドロッポ医の良いところ・悪いところ

こんにちは、ロスジェネ勤務医(@losgenedoctor)です。

 

僕はいわゆるドロッポ医です。

ドロッポ医の定義が何かは分かりませんが、

  • 楽な病院で楽な仕事だけをやる医者
  • 患者を助けたいという情熱より金が稼げればいいというような考え方をする医者
  • 医者としての出世(教授になるとか基幹病院の部長になるとか論文をたくさん書くとか)を諦めた医者

のことでしょうか。

ともあれ、ある程度経験を積んだ医者が自分をドロッポ医だと思えば、ドロッポ医なんでしょう。

 

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ドロッポ医とハイパー病院にいるようなエリート医

それぞれに良いところと悪いところがあります。

医者としてのやりがいや承認欲の達成はエリート医の方が高めでしょう。

しかしそういう生き方はプライベートが犠牲になってしまう傾向があり、その点ではドロッポ医の方が有利かもしれません。

個人的なドロッポ医の良いところ、悪いところ、いくつか挙げてみました。

 

良いところ

マウント取りたい気持ちがなくなる

エリートルートから外れたドロッポ医は、いくら腰が低いように見せていても知らず知らず、「俺は○○卒で、学位もあって、医者としての経歴が良くて技術もある医者なんだ」と思ってしまっている部分があります。心のどこかでそういう今まで築き上げてきたものを支えにしている部分もあります。

実はそういうことは普通の病院では全く意味がありません。

まともなドロッポ医は、それに気付く日が来ます

マウントを取ろうとすると、永遠に満足できないということでもあり、逆にそれは良いことのように思えます。

 

特別な存在として扱われたいという浅はかな考えが捨てられる

上と同じようなことですが、自分が特別扱いされたいような気持ちがそのうち自然となくなります。ちっぽけな自分に気付くというんでしょうか、それは人間としては良いことのように思えます。

 

お金に関するリテラシーがつく

いろいろな束縛やしがらみから自由になったドロッポ医は余裕が生まれるので、たいていお金の勉強を始めます。それでマネーリテラシーがつくというわけです。

若いうちにそれに気付ければ、長期的な金銭的予後はかなり違ってくるでしょう。

 

正味の自分を高めようというモチベーションが生まれる

自分の身ひとつで生きていかなければならないので、自分の技術、人脈なり、人間的な総合力なり、そういうものを高めようというモチベーションが生まれます。

大きな施設にいなければ経験できない専門的な技術や経験は手に入れにくくなっても、その他にも自分を高められる分野はたくさんあります。

 

いわゆる「ゆるふわ女医」の働き方とか気にならなくなる

ドロッポ医の働き方というのは個人主義の傾向があり、他の人の働き方が自分に影響を及ぼすことは明らかに減ります。なので「ゆるふわ女医が当直しなくて自分がキツイ」なんて不満を感じることは減ります。

 

悪いところ

同僚と話が合わない

ドロッポ医と、始めから"そういう"病院にいる医者との間で、明らかに常識が合わないことがあります。PubMedで自分で検索したことがただの一回もないような医者はたくさんいます。

アカデミックな話が周りにいる人間度と全くできないというのは、なかなかのストレスです。

 

本当に感じたことを言えない

たいていドロッポ医が集まってくるような施設は、いろんなバックグラウンドを持った医者が集まりますので、共通の話題というのがどうしても減ります。昔話のようなものができなくなります。

麻酔科でいうと、麻酔のやり方なんていうのも医局が違えば全く違ったりするので、変なやり方やるなぁ、と思っても口に出せないというストレスは結構あります。

医者同士で、仕事の話をするのって結構実はストレス解消になっていて、そういう時間がなくなるのは割とマイナス要素です。

 

雇用が不安定

これはドロッポしたいけどなかなかできない人が一番気にする部分なんじゃないでしょうか。僕も今でも不安に感じることがあります。特にコロナのときは病院がこのまま潰れて仕事なくしてしまうかも、なんて感じました。

僕はアルバイトも週1回行っているのですが、それもいつクビを切られるか分かりません。医局時代なら教授の目がありますから、外勤先がいきなりクビにしてくるなんてことはあり得ないですからね。

 

時代の変化についていきにくくなる

大学病院なんかにいると、何もしなくても新しい情報が入ってきます。MRさんとかしょっちゅう説明会しにくるし、同僚もいろんな新しい話をふってきたりします。

カンファレンスなんかで面白い視点を教えてくれる先輩がいたり、学会発表やその指導に携わる機会でも自然と知識が入ってきます。

ドロッポするとそういうものが一切なくなってしまいます。自分でそういう情報にアクセスしにいかないといけない。

今の病院だと、論文がfull textで読めないのが一番困ります。コロナ絡みのものはフリーで読みやすいのが多いのでいいんですが。

 

自尊心を傷つけられることがない

大きな施設にいるときは感じませんでしたが、やはり大きな医局から来ている先生ということで尊重されているんですね。ところがドロッポしてどこの馬の骨とも分からない奴になると、研修医や看護師になりたての若い女性などに、ゴミのような扱いを受けたりする経験をするわけです。

医者なのにそんなことあるのか?と思う人もいると思いますが、これは実際ドロッポした医者でないと分からない部分かもしれませんね。どんな年齢や立場の人でも人間というのは、知らず知らず自分が従わなければならない人かどうかを見極めて相手に接するのです。

何年かすると慣れるというか、自分のなかでのマインドチェンジみたいなのが起きて何も感じなくなりますけど。

 

書いていて思いましたが、

ドロッポ医の悪いところ良いところというより、ハイパー病院から場末病院に自分でうつった人間が感じること」

という方が合っていますね。

まんま僕ですけど。

 

よく思うんですが、人間は"いるべき場所"がそれぞれあるのか、"いる場所でその人がつくられる"のか、はたまた"場所なんか関係なくその人はその人そのもの"なのか、どうなんでしょうか。

自分的にもまだ答えは出ていませんが。