ロスジェネ勤務医の資産形成ブログ

ロスジェネ世代麻酔科医師のコッカーマリンです。資産形成や日々のことについて感じたことを書き綴ります。

竹内結子さんの訃報を聞いて思ったこと

こんにちは、コッカーマリン(@losgnedoctor)です。

 

女優の竹内結子さんが亡くなられました。

www3.nhk.or.jp

原因は自殺とみられているようですが、本当にいたましいニュースです。

竹内結子さんのご冥福をお祈りいたします。

 

自分と同年代といえば同年代の方の、こういうニュースだったのでショックでした。

思わず声がでました。

その後感じたことはこういうことでした。

 

ある女性に今回のこの話についてどう思うか聞いてみたところ、「小さな子供がいるのに自分勝手だ」ということを言っていました。

自分も嫌なことや大変なことがたくさんあっても頑張って子育てしている、残された子供はどうなるんだ、子供の気持ちを考えろ、たしかにそういう見方もできるかもしれません。

 

自殺する人はなぜ自殺という行動を選ぶのでしょうか。

僕の考えですが、前提として人間はどういう行動をとるか、結局自分が決めます。

本質的に人間は自由だからです。

行動を実行するのは手とか足、口などですが、決定を下すのは脳、精神です。

 

精神が正常なら、脳は生きられる確率が高そうな方をいつも選ぼうとするものです。それが生命というものだからでしょう。

しかし精神を病んでしまった人、つまり自分の行動を決定する部分が壊れてしまった人は、自分の命を失う行動にでてしまいます。

でもそれはある意味とてもありえる話なのだと思います。

 

目隠しをしたら真っすぐ歩けないし、ブレーキの壊れた車は止まろうとしても止まれません。

精神が正常さを失い、自然な判断ができなくなったら自分の体を壊してしまうことがある。

 

なぜ精神を病む人と病まない人がいるのか。

なぜ自殺を選ぶ人と選ばない人がいるのか。

最初に出した女性は、「自分はそうならない人間である」と思っているのだと思いました。そして自殺を選ぶような人は「あっち側の人間である」、と。

 

しかし僕は精神を病むというのはがんになる、というようなことと本質的にはまったく変わらないと思うのです。

人間の体の細胞には複製のたびにがんになるようなエラーが自然に起きたり、エラーを起きやすくするようなストレスが常にかかっています。

しかし自己修復の起点が常に存在して、がん化を防いでいたりするわけです。

 

そのがん化を防ぐ起点が弱い人ががんになりやすい、そういうイメージが精神にも当てはまると思うんですよね。

いろんな環境因子(周囲の人間や、社会環境など)が自分にストレスを与えてきて、気にしないとか逆襲するとか我慢する、というような修復起点が常に働いている。

それが弱いひとが、精神を病んでしまうのだ、と。

 

原因不明でがんになる人に対して、「あなたのがん抑制遺伝子が弱いからダメなんだ」ということを言う人はいない。

精神を病んで自殺を選ぶ人には、自分勝手だといって批判するような声すらでてくることがある。

 おそらくそういう批判をする人は、自分の精神というのは自分でコントロールできるものである、と思っているのでしょう。

 

僕はあまりそうは思えません。

自分を深く深く観察していると精神の適切なバランスを保つ、というのも自分で完全に制御できるとは思えないのです。

自分の肝臓の機能を自在に操れないように。

 

自分が何か機嫌が悪いな、とか、変にはしゃいでいるな、ということがあります。

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理屈では分かっているが、どうしても許せない他人の行動なんかもあります。

すごくカッとなって大声で怒りたくなっても、10秒くらい黙ってじっとしていると、怒りの感情がほぼ消えてしまう、なんてこともあります。

 

自分の感情や精神というのは、自分の頭で考えているより自分のコントロール外にあるものじゃないかと思うんですよね。

精神が受けるストレスの強度や持続時間によって、知らない間に自分で戻せないほどバランスが壊れていってしまうことはあるんじゃないか。

一度バランスが不可逆に壊れてしまったら、精神科治療などの外部的な修復機転を施さない限りもう自分で戻すことはできないのではないでしょうか。

 

例えば白内障になったら自分の頭で「直したい」と考え、正しい行動(外部的な修復機転:手術を受けるなど)をとることが可能です。

行動を決めるのは自分の脳であり、そこは正常だからです。

しかし精神の病の怖いところは、その行動を決める部分が壊れているために正しい対処方法をとれないという本質的な問題があるところです。外部的な修復機転が介入しにくい。

 

周りが察知できるような兆候などがあれば、家族などからの介入というような起点もありえますが、やはりうまく本人が隠すこともあるのでうまくいかないことも多いでしょう。

だから近くにいた人たちが自分を責めるようなことはしないでほしいと思います。

 

前提に戻りますが、人間が自由な生き物である限り、自死というのは完全にはなくなることはないと思います。

個人的には「いのちの電話」を周知したり、"自殺はダメなことなんだ生きていればいいこともあるさ"、ということを精神的に元気そうな周りの人間が言ったりするのは、あまり意味がないと思っています。

 

ただ、酒を飲み過ぎなければ肝硬変になりにくい、というのと同じで精神のバランスをうまく保てる生活習慣やマインドの持ち方などはある程度分かっているわけですから、心の健康を保つということを現代人はある程度普段から意識しておくことは良いことかもしれません。

 

あと、今回のエントリーで述べたように、人間の精神も心臓や腎臓などと同じように臓器の一つであることをしっかりと認知することは大事だと思います。

心筋梗塞になったらカテーテル治療をしないと同じように、精神が病んだらその専門家に話を聞いてもらわないといけない。そういう当たり前のことを社会全体でもっと常識にしていく必要があると思います。