こんにちは、ロスジェネ勤務医(@losgenedoctor)です。
ジャーナリストの伊藤詩織さんの「SNSいいね裁判」の判決が意外なものとなりました。
ある政治家が伊藤詩織さんを誹謗中傷するようなツイートに「いいね」をたくさん押して、それ自体が罰を与えられる行動である、というような判決でした。
これはツイッターをやっている人からすると結構衝撃的な内容で、「おいおい、いいねを押しただけで訴えられる可能性があるのかよ」と思った人は多いんじゃないでしょうか。
被害を矮小化するつもりはないが、自分が中傷されたツイートに誰がいいねを押したかまで見るのは、あまり精神衛生上良くなさそうではある。
— 手を洗う救急医Taka (@mph_for_doctors) October 20, 2022
【速報】中傷ツイッターに「いいね」訴訟 東京高裁は「名誉侵害」認める 伊藤詩織さん逆転勝訴 「誹謗中傷に対する見方変わった」https://t.co/ErdvmiiXo7
この判決は伊藤詩織さんと杉田水脈議員の間のいろいろな文脈から出た判決であり、いいねを押すことだけで訴えられて負けるわけではない、ということみたいですが、実際はやはりこういったことになるでしょう。↓
そうはいってもとにかくフォロワーの多い人はRTとかいいね押すのかなり注意した方がいいということになるだろう。
— ロスジェネ勤務医 (@losgenedoctor) October 21, 2022
実は法律的に考えるとSNS自体がかなり危ない行為で、みんなハイリスクローリターンなことを喜んでやっているということなんだよな。 https://t.co/2WHDS9CVKX
法曹はこんなことにまで手を突っ込んでくるのかよ、とも思いますが、実際に裁判が成立するんだからしょうがない。
今回の裁判結果が正しいかどうか、というより、そういう判例はもうできてしまったんだ、という理解をすることが必要でしょう。
ともかくSNSが社会の中にしっかりと入り込んでくるに従って、だんだんとルールみたいなものが醸成されてきたように感じます。
特に誹謗中傷界隈の話あたりは、もう主観もいろいろ入り交じるので、なんだよそれみたいな話もたくさんあるし、もうツイッターのビジネスモデル自体を揺るがせるようなことになってきている気がします。
気軽にSNSを楽しんでいるつもりでやっていて、そのうちちょっと悪ふざけしたり、お酒飲んで不用意なことを書き込んでしまったりするだけで、社会的信用を一気になくすような自体が起きるかもしれないと考えると、安定したこの現代社会のなかで、これほど自分を危険に晒す行為はないんじゃないか?という気すらします。
それでも今や情報の多くがSNS経由で入ってくるような時代ですし、多くの人はすでに中毒になっている。
実質的にはこういったたぐいのネットのサービスの利用、やめられないんですよね。
お菓子を食べたり、お酒を飲んだりするのを簡単にやめられないのと同じ。
それでも「見るだけ」という人は多いし、「いいね」をはじめとにかく投稿に対して反応することを避けるような行動をとり続ければ、多くの人がなんとか問題は起こさずうまく利用できるのかもしれません。
しかし、いいねを押すような「反応」をしなかったら、だんだん自分もつまらなくなってやめてしまうかもしれませんし、いいねがつかなくなったらツイッター自体がしぼんだサービスになるかもしれない。そのあたりは分かりません。
ただ、「発信」をしたい人はどういう方向にいくのでしょうか。
誹謗中傷裁判で開示請求されてしまうような人は、アウトかセーフかのラインが分からない人であって、今後ツイッターのようなオープンな場所で書き込むことは難しくなっていくでしょう。
でも、発信したい人は常に一定数いて、みんな、なにか言いたいんですよね(僕も含めて)。
また、アウトとセーフの境目はわかっているんだけど、限定した人にだけ炎上を気にせず言いたいことを言いたい、という人もいる。
そういう人の数は絶対に減らないと思います。
ということは、ツイッターが「危ない場所」になるに従って、その発信先がもっとクローズドなところにうつっていく流れはやはりありそうだな、と改めて思いました。
例えば、有料のオンラインサロン、有料メルマガ、有料noteのような媒体上で、少数の自分のことをポジティブにとらえてくれているクラスタに対してだけ発信する、というスタイルがあります。
お金を払ってまで読んでくれているわけだから、みんな"良い記事を読めた"と自分で思いたいわけだし、内容に対する誹謗中傷や炎上は無料のSNSと比べると極端に少なく、そういう場所での発信を読むのが好きだ、という人はいます。
しかし、いくら少額でもお金を払う、となると極端にハードルは上がるもので、拡散力というのはとても少なくなります。
僕のいま書いているような無料のブログは、結構ネット上の媒体とすれば古い部類のものになりましたが、無料だから誰でも全部読める反面、SNSのように気軽に一瞥して言いたいことが分かるわけではない、という点でSNSと有料の媒体の中間みたいな第三の存在なんだろうなと思います。
ブログなんて古い仕組みだけど、昨今の「SNSの炎上」「誹謗中傷裁判」の影響で、意外とネット上の立ち位置が逆に明確になってきた気がします。
有料のオンラインサロンなどでの発信は、外部からすると中で教祖と信者が喜んでるだけじゃないのか?と見られることもあるし、そういう意味での炎上からは逃れられません。西野亮廣氏がいつも炎上しているのは、そういうことです。
ブログは無料という意味でツイッターと同じだし、読もうと思えば誰からも読まれるんだから炎上する可能性あるだろ、と思うんですが、これがブログをやっていて気付いたんですが、自虐的な意味も込めて「ブログって全然読まれない」んですよ。
そういう意味で実は有料のコンテンツの要素が多分に含まれています。
世の中には「ちょっと努力すれば割引が手に入る、お金がもらえる」みたいな仕組みがたくさんあるのに、結構みんなやりません。
つまりめんどくさい事は、本当に最後までみんなやらないんですよね。
ツイッターで何万もいいねがついてツイッターのフォロワーが増えても、別にブログのPVは増えません。
僕のツイートを読んでくれる人のうち、このブログ記事のここまでちゃんとたどり着ける人って実は無茶苦茶少ないんですよね。
ツイッター、ブログ、有料コンテンツ、こうやって分類してみると、それぞれに役割があって、個人的にはそれ自体がすごく面白いことだな、と思います。
ブログをやっているとそれが手応えとしてよく分かって、儲からないブログをやっていてもまぁ良かったな、と感じることの一つです。