こんにちは、ロスジェネ勤務医(@losgenedoctor)です。
画像生成AIが作ったいわゆる「美女写真」があっという間にいろんなコンテンツで大量に使われるようになり、KindleUnlimitedのコンテンツなんかにもどんどんあふれてくるようになりました。
完璧な美人で、男性が好きそうなスタイルの良い美女がどんどん簡単に、コストをかけずに作れるようになり、男性向けの商品の広告なんかにもどんどん使われるようになっています。
面白いのは、いくらうまく生成していてもひと目見てAI画像だな、って分かることなんですよね。
当たり前だろ、と言われたらそうなのかもしれないけど、いくら写真みたいな巧妙な画像でも、とにかく分かってしまう。
無表情じゃなく、自然な感じでにっこり笑っていても分かる。
なぜなんでしょう、不思議です。
そして、あれだけかわいい顔でも魅力的には感じない。今の技術のAI美女からは、おそらくスターというのは生まれない気がします。
人間が本当に好きになる「美」というのは、意外とより完璧に近い美じゃなくて、なにか他の要素が必要だということでしょうか。
AIつながりで、ChatGPTの作った文章も、なんかのっぺりしていてあまり好きにはなれない。読む気がしない。
そんなところがあるような気がします。
ネットの記事くらいであっても、やはり好きな文体のライターが自分の考えを入れ込みながら書いた文章の方が長くてもすっと読んでしまう、みたいなところがある。
いくら完璧な文法で中身が正しい文章であっても、いくら完璧な美人の写真であっても、AIのその先にはなにもないわけです。
いろいろ苦しんでいたり、楽しんでいたり、そういう人間がいない。
にっこり水着姿のグラビアアイドルだって、いろいろな夢やドラマがあってそこで写真に収まっている。写真を撮られながら何を考えているかなんてわからない。
この写真が売り出されたあとにも彼女の人生があり、またドラマが続いていく。
だからこそ、その撮影の瞬間の姿が魅力的に見える。
実は人間って、そういうすべての文脈をいろいろと理解して考えた上で、瞬間瞬間のコンテンツを楽しんでいるのかもしれません。
AIの作ったツルツルした、ピカピカの文章じゃなく、人間のライターが書いたどこかザラザラした匂いのするような文章を魅力的に感じる。
そういえばボールペンでも、同じように見えてもいろいろなボールペンがあり、ほんの些細な違いでお気に入りの書き味、持ち味のペンというものがあったりします。
人間って、いい加減なようで、実は得体のしれない鋭さみたいなのを実は持っているのかもしない。
AI美女をみるたびにそんなことを考えます。