ロスジェネ勤務医の資産形成ブログ

ロスジェネ世代麻酔科医師のコッカーマリンです。資産形成や日々のことについて感じたことを書き綴ります。

とあるRPGスマホゲームをしてみて感じたこと

こんにちは、ロスジェネ勤務医(@losgenedoctor)です。

 

この間、このスマホゲームをダウンロードしてやってみました。

何で見つけたのかよく覚えていないんですが。

LogRogue(ログローグ)

LogRogue(ログローグ)

  • Mitsuhiro Okada
  • ゲーム
  • 無料

apps.apple.com

大手のゲーム会社のお金をかけたゲームじゃなく、インディーズ系のアプリなんですが、やってみると結構面白かったんですよね。

 

実はRPGというほどでもない単純ないわゆる放置ゲーで、ストーリーも大したことはなく、ダンジョンに入っておけばアプリを切っても勝手にどんどん進んで、次見たときには主人公が強くなっている、というやつです。

 

レベルがすごく上がっていて、アイテムを敵がドロップするので何回かに一回すごく強い装備に変更できて、次ダンジョンに入ったらさらに先まで進むことができる、という具合です。

 

目的がなにかあるわけでなく、単にレベルアップして主人公が強くなるだけ、終わりもよく分からないというアプリなんですが、始めやすいし仕組みもうまいのか、結構人気もあるようです。

 

僕もつい気になって何回もアプリを開いてダンジョンに入る、というのをやってしまいました。どうでもいいけど、主人公結構強くなりました。

バカバカしくなってダウンロードした次の日に削除してしまったのですが、よく考えると面白いことだな、と思ったんですよね。

 

僕の世代はまさにドラクエ時代で、ドラゴンクエストは1から全部やってきました。

ファイナルファンタジーは3から。そういうロスジェネ世代の人、結構多いと思います。

なので、この世代の特に男性は、ドラクエ的なRPGが大好きなんですよね。

 

スマホでも今や手軽に色々なRPGをダウンロードしてプレイできるようになり、すぐに飽きてやらなくなるのに(多分年齢のせいで昔みたいにハマれない)、なぜかAppStoreのゲームのページとかたまに見てしまうんですよね。

 

今回のような出来のそんなによくもないRPGアプリになぜハマってしまうのか。

これって、多分僕ら世代の人のRPG好きのエッセンスを抽出しているからなんですよね。

実はRPGが好きと言っても、何が好きなのか?ということを考えると、僕の場合は、ある強い敵が現れて、勝つためにスライムなりドラキーを倒してレベルを上げゴールドを稼いで銅の剣を買い、強くなった自分であのとき負けた敵を倒す、という一連の作業が好きなんですよね。

 

僕の場合はギリギリで倒す、というよりしっかりレベルを上げて余裕で勝てるまで強くなってから戦いに行く、というようなスタイルで、人によってそれはいろいろだと思うんですが、とにかく僕の「RPGが好き」という趣向は、分解してみるとそういうコツコツ作業して強くなって、ある段階を乗り越えてく、ということが好きということなんだと思います。

 

今回のスマホゲームは難しい仕組みやストーリーもないんですが、この「RPG好きな人が好きそうな要素」だけを抽出しているからプレイしてもらえる、ということです。

実はこれに限らず、人が○○が好き、という好みみたいなものって、結構ざっくりとしたものだと思うんですが、分解してみると実は○○という行為のこれが好き、みたいなのってあると思うんですよね。

例えば旅行好きである、といった場合でも、ざっくりとした旅行という行為全体が好き、というより、実は普段の生活圏以外の場所に行って、見たことのない景色を見る、という行為が好きなんだ、と分解できるのかもしれない。

それを研究すると、安・近・短みたいな旅行も結構体験としては十分満足で、そういうビジネスが生まれてくるというようなことがあるのかもしれません。

 

人間のすべての行動は、なんとなく自分という主体があって、自分に決定権があり、自分なりのオリジナルで、と思っているわけですが、そう思うことこそが自由主義的な考え方なんですよね。

自分の内面にこそ価値がある、と自分が思えて嬉しくて、そう思えるべきであると世の中全体がいつも言っている。

それがすごく自然な考え方になるのは当然です。

 

しかし、僕はRPGが好きなわけだけど、よく考えたら僕の世代の人の多くは同じようにドラクエ好きだし、おそらく外部から「好きにさせられた」たぐいのものなんですよね。

そして、その「好き」すら、研究されてしまうと、低コストで僕の「好き」だけを刺激するようなエッセンスだけ詰め込んだようなコンテンツで満足させられてしまう。

 

要するに現代社会においては、僕の「個」なんてものはほとんど存在しないのかもしれません。

今やグーグルやらSNSを通じて我々はデータを喜んで提供しているので、AIやらなにやらで解析すれば、きっと僕の「好き」なんて簡単に分かられてしまうだろうし、操作することも可能でしょう。

これまで信じられていた「自由主義社会」では最終的な分解物は「個」であったわけですが、今は「個」がさらにバラバラに分解されて、我々「個」は自分ではもうそれをコントロールできなくなっているわけです。

 

スマホのゲームをしただけでこんなめんどくさいことをついつい感じてしまう自分も変かもしれませんが、"今流行しているもの"にはやはり何らかの文脈というのは絶対あると思っています。

そして、「ロスジェネ」「SNSやブログで発信している人」やその他のいろいろなプロファイリングに、今回のこのエントリーもデータとして提供することになるということなのでしょう。