こんにちは、ロスジェネ勤務医(@losgenedoctor)です。
自分がTwitterばっかりやっているくせにこんなこというのもあれなんですが、こういうことは本当によく思います。
みんな本を読もう。SNSは面白いけど、暇な時間にずっと見ていていいほどのコンテンツではない。つまらないことをいうようだけど、適度に利用することが最大限の良い効果を引き出せる。 単位時間に一番血肉となる何かを得られるのは、いまだに読書。
そう、SNSが怖いのは炎上でもなんでもない。
自分の大切な時間が奪われて、読書の時間が奪われ、それこそ"タイパ"が悪くなることなんですよね。
SNSってお手軽だし、開いたらいつも新しい情報が更新されていて、自分の発信に対してなんらかのリアクションがあったり、実にうまく人をひきつける仕組みが備わっています。
そしてSNSというプラットフォームは必死になって我々の時間を奪っていこうとしている。
別に炎上してストレスになるまではいかなくても、SNSをやっている時間は本当に自分の血肉になるような生産的な知的活動ってできないと思うんですよね。
単に時間を浪費している、そのものに近い。
難しい本じゃなくても、3日くらいで読める話題の新書みたいなのを読んでみる。
子供に買ってきた学研の科学シリーズの図鑑とか眺めていたって、SNSやっているよりは何かある程度体系的な知識が手に入ります。
下手したら漫画読んでたって、人気のある漫画を初めから最後まで一通り読み切れば、その漫画が好きな人とその話をできるようになる。
それも自分に「積み重なる」ものかもしれません。
すべてそれが一つの完成された「作品」だからです。
作者が考えたストーリー、伝えたいことがあって、それが繰り返し頭の中にインプットされる。
人間の知識ってそういうものからじゃないと、本当には自分のものにならない気がします。
SNSっていろんなコンテンツの一部だけを切り取って、おもしろエッセンスだけを体験させる仕組みです。
今は情報が溢れすぎているせいか、みんな長いコンテンツを全部見るのを嫌がって、自分が好きなところだけを味わいたいと思う。
だからこそ確かに面白いんですが、たくさんのエッセンスだけをバラバラに体験したところで、不思議と自分の中に染み込まないんですよね。
著名人の名言集をいくら読んだって、何も自分のものにできないというか。
以下のようなことをTwitterで書いたことがあります。
SNSでお手軽に世界が広がった気になってしまい、努力して面倒くさい自己実現をしようとしなくなり、仕事を頑張って給料を上げようとせず結婚して人生を前に進めようとしなくなる。実はそういうことが起きているんじゃないか?という気がする。
面倒臭さから逃げて、SNSの会社が自分たちが儲けられるように仕組んだビジネスモデルの中にいて浪費させられて、でもいい話を聞いて「なるほど」と思っただけで何か得た気になり、成し遂げた気にすらなり、先が見通せてしまった気になって精神だけ老人になってしまう。
そんな弊害が、SNSのせいで起こっているのではないか?
そんなことすら思ってしまいます。
いまビジネス書の世界では「教養」というものをテーマにしたものが売れているそうです。
コロナは怖いぞ苦しいぞ死ぬぞ医療崩壊するぞ後遺症残るぞ、と脅した先生達は、こっちが想像もできないくらい永遠にその恐怖に縛られる人間がたくさんいることをきっと想像していなかったんだろうな。
— ロスジェネ勤務医 (@losgenedoctor) April 19, 2023
社会的廃人レベルに外に出られなくなっている人たちが存在する。
日本の知識人は教養が少なすぎる気がします。
コロナでの議論を眺めていて、受験勉強をいくら頑張っても教養は身につかないというのがよく分かりました。
一方で日本人は教養に飢えています。
日本では各種SNSの中でもツイッターが一番人気、というのは世界でも珍しいらしい。テキストが主体のプラットフォームですから、どちらかというと頭を使う場所のはずで、みんな賢くなりたい、という思いは結構強いわけです。
でもそこにいくらいたって、むしろ教養が身につくとは逆の方向、つまり読書をする習慣がどんどんなくなっていく、というのは皮肉なものです。
SNSにはSNSの役割があり、逃げずにうまく利用するのは現代人として正しくて効率的な態度だと思いますが、ハマり過ぎは逆効果です。
そういう、SNSの本当に怖いところを意識していこう、と常々思っています。