ロスジェネ勤務医の資産形成ブログ

ロスジェネ世代麻酔科医師のコッカーマリンです。資産形成や日々のことについて感じたことを書き綴ります。

経済回す派 vs 感染対策派 という構造自体が異常だった

こんにちは、ロスジェネ勤務医(@losgenedoctor)です。

 

日本ではコロナでの社会の対応の上での対立軸として、経済回す派感染対策派がありました。

感染対策派は、コロナの感染者数をなるべく減らし、医療崩壊などをおこさないことが大事であるというスタンスで、経済回す派は感染者がある程度増えることは許容してもとの生活をみなが取り戻し、経済がうまく回るようにしたほうが良いんだというスタンス。

 

しかし、ある本を読んでなるほど、と思ったのですが、この2つの対立軸ばかり際立つ日本の社会自体がちょっとおかしいんですよね。

議論の中に本来あるべき、「個人の自由」というスタンスが出てこない。

 

経済回す派は、経済を回すという全体のために良いことをやるべきだ、というスタンスであって、感染対策派もみなが感染を避けて生活できるように、というスタンス。

違うようで、実は個より全体のことを重視する考え方、という点では共通しています。

 

ヨーロッパやアメリカで、いくら政府がマスクをしろワクチンをうて、ソーシャルディスタンスを、と言ってもあまり国民が聞かなかったのは、まさに個人の自由というスタンスなわけです。

一見経済回す派のようにみえますが、経済が回るのは個人が自由に行動した結果であって、目的ではない。そういうことだと思います。

 

なぜ欧米で個人の自由という考え方があるのに、政府はソーシャルディスタンスを要求したのか?というと、それは単に政府の立場が個人の自由という権利と相反する部分があるからですよね。

政府からすると、基本的に自分たちが作ったルールに国民がみんな従って、こうしろと言ったらみんなそうしてくれたら都合がいい。

でも、それぞれの国民にすると、国が強制してくることが自分個人の幸せとイコールかといったらそうではない場合も多いので、要するに利害が一致しないわけです。

 

そこには常に歴史上の闘争があって、お互いが時には歩み寄って文明や社会が発達してきました。

それをごっそり輸入してきた日本というのは、その「個人の自由」というとても重要な部分が抜け落ちてしまって、ある意味異形な形の社会を作ってしまったことになるんじゃないでしょうか。

公のため、と主張することがとにかくポリティカル・コレクトネスになり、個人の自由を主張することがタブーとなる。

 

なのでコロナでも、立場が違うようで似ているから争点がブレがちな、「経済回す派と感染対策派」という、不毛な議論に終止してしまった気がします。

 

 

またコロナ感染は広がっているようですが、今回の感染の波はどうなるでしょうか。

コロナ自体は何も変わっていないし、ワクチンも打つ人減ってきているので、これまでの感染対策派の言うとおりなら感染爆発して大変なことになるはずですが、どうでしょう。

できれば、もうあんな不毛な対立をSNSなどで見かけることがなくなるといいですね。