ロスジェネ勤務医の資産形成ブログ

ロスジェネ世代麻酔科医師のコッカーマリンです。資産形成や日々のことについて感じたことを書き綴ります。

「働き方改革」の真意について考えてみる

こんにちは、ロスジェネ勤務医(@losgenedoctor)です。

 

「働き方改革」、昨今ずっと言われていますよね。僕なんかは何も問題なくちんたら生きているので正直めんどくさい話だなとしか思わないのですが、国も力を入れて推進していてるように、今後の日本のためにとても重要なテーマなのだとは思います。

 

ざっくりと、なぜ働き方改革なんてものを声高に叫ばないのいけないのか?いまなにが起こっているのか?ということを考えてみました。

 

 

そもそも、今みたいに経営者が会社を運営し、多くの人は労働者としてそこで時間給で働く、というのは当たり前ではありませんでした。

江戸時代などはほとんど実はみな専門職で、専門職がありながらたまに別の仕事をやったりして生活していた。

農家、なんていうのはいわば専門職ですよね。時間給ではたらいているわけじゃなく、暇なときは暇だし、忙しいときは無茶苦茶働く、というように自分に裁量があった。

 

いろんなスキルも個人が所有していて、経営者がいてマニュアルがあって、その会社に入れば誰でもその仕事ができるようになって、というものではなかった。それぞれのギルドみたいなものは存在していたとしてもです。

 

それが資本主義制度が入ってきて以降、スキルというのは個人がもつと要領が悪いので、マニュアルで誰でもできるように落とし込んで、会社がその「スキル」を独占するようになった。

そして大量の労働者に同じことをやらせて、効率化し、大量生産で安く商品を作ることができるようになった。

それが戦後のまさに高度経済成長の時代の日本にピッタリとハマったのでしょう。

 

国民皆保険制度というのも、そういう視点からすると、大量の個人を安心してたくさん働かせられるようにするために存在したものと考えることもできます。

質はどうあれたくさんの元気な労働者がいれば、効率よく商品を作れるので、生産性が上がる。

そういう時代が確かにあったのです。

 

それが、平成になり、いくら大量の人員で安く効率よく商品を作ったつもりでも、コモディティ化した商品は、途上国に太刀打ちできなくなった。

日本の場合、アメリカのように方向転換できず、ずるずると同じようなやり方を続けてしまったことが失われた30年の根本的な原因なのでしょう。

 

今は、スキルは会社からまた個人の時代になってきていると思います。

それこそ先日のブログ記事のテーマでもありますが、「個人の発信力」というものの強さは、SNSの発展などもあり、社会を変えるレベルにまでなっています。

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パイロットやコクヨが大金を注ぎ込んだCMで、次に我々が出すボールペンは素晴らしいですよ!というより、YouTuberが「これはヤバすぎる出来栄え...」とサムネイルに入れて動画にあげるほうが宣伝効果が高かったりするのです。

 

個人としては、一つだけめちゃくちゃ稼げるスキルというのを持つのが難しい以上、どこでも需要がある程度ある、そして持ち運べるスキルをいくつか持っておくのが重要だと言えます。

会社は、それぞれの個人がもつスキルをかけ合わせる「場」としての存在に変わっていくのかもしれない。

 

「ポータブルスキル」という言葉があります。例えば稟議を通す時に○○さんにまずお伺いを立てて、次にこの人に了承を得て、そうすればOKが出やすい、みたいなどこかの会社でだけ役に立つ知識というのはポータブルではありません。

動画を自分で編集する能力があります、とか、簡単なアプリケーションなら自分で作ることが出来ます、などの、どこへ行っても汎用性があって求められるスキルのことです。

 

スキルが会社から個人に移ったということは、会社としてはスキルを保持する必要がなくなります。大量の労働者に同じことをやらせる必要もない。

本質的に、凡庸な数多くの人間はいらなくなるということです。スキルがあっても、限られた場面でしか活用できないスキルしかない人もいらなくなる。

それより、魅力的にうつる会社としてブランド価値を上げ、多種多様なスキルを持つ人材をうまく集め、それをうまく組み合わせられる会社が強くなるということでしょう。

ちなみに健康な状態でたくさんの労働者に会社に来てもらう必要がないという意味でも、国民皆保険が時代に合っていないのだ、という気がしています。

国民皆保険が問題だらけの制度で、日本の資本を無駄遣いしているから問題であるということもありますが、そもそもがたくさんの国民みんなに健康でいてもらおう、そっちのほうが生産性が上がるんだ、という制度思想自体が実は時代に合っていないのです。

 

医者の仕事もこの流れには逆らうことは難しい。僕が医者になってからの20年間の間ですら、医療のコモディティ化というのは急激に進んでいます。

語弊がありますが、麻酔医療もコモディティ化が進み、誰がやっても同じように安全に麻酔が完遂できるようになってきました。麻酔科医も、麻酔の知識や技術を核にしながらも、他の分野で応用できるようなスキルを「ポータブルスキル」として身につけるべき、という時代になってくるんだ、という自覚は持つべきでしょう。

 

国が「働き方改革」で何をやろうとしているのか、本当のところは僕には分かりませんが、上の文脈から、単に過労をやめさせようということではないのだろう、と思います。

会社がどんどん淘汰されていくこれからの時代、会社にへばりついて会社に守ってもらおうという意識は捨て、それぞれが日本の生産性向上に役立つようなスキルを身に付けろ、と言いたいんじゃないでしょうか。

若い人はこれからの常識の中で自然と生きていけますが、ロスジェネくらいが一番頑張ってこれまでの意識を大転換しなければいけないので、辛い。いつも一番辛い気がします。

でも、多分転換できずに、30年後社会の足を引っ張っているのもこの世代な気がする。

とにかく、そういう意識だけは持って生きていく必要はありそうです。