ロスジェネ勤務医の資産形成ブログ

ロスジェネ世代麻酔科医師のコッカーマリンです。資産形成や日々のことについて感じたことを書き綴ります。

熊谷知事が「この話題は終わりにします」と言っていることの意味

こんにちは、ロスジェネ勤務医(@losgenedoctor)です。

 

ここ何日かツイッターでは、黙食をやめる話題マスクを外す話題で盛り上がっていました。

 

黙食をやめよう、というと、それによって感染が増えて後遺症で苦しむ子供が増えるかもしれないじゃないか、学級閉鎖が増えて勉強する機会を失うかもしれないじゃないか、という声が出る。

卒業式でマスクを外しましょう、というと、みんなマスクを外したがっているわけじゃないんだ、という声が出る。

といった具合です。

 

残念ながら、今回もいわゆる「医クラ」が火をつけて回っている、という印象は受けます。

 

 

熊谷知事も言っていますが、要するにすべてこれらは「リスクの相対化」の話なんですよね。

 

福島での原発事故の時でも大いに議論になりました。

事故によって放射性物質が多少漏れ出たとしても、それによるリスクと、すべての関係者のお気持ちに配慮した大掛かりな対策のデメリット、その2つを相対化してみて、正しい判断をしていくのが重要です。

 

それをするのが国のリーダーである政治家です。長い目でみた国益を考えて、今の有権者には支持されない可能性があっても決断しなければなりません。

 

コロナでも全く同じ議論が起きています。

コロナによる死亡を含めた健康被害というリスクと、コロナの対策のためにかかる大掛かりな費用やその他デメリット、それらを比較してリーダーたる政治家が決断していかなければなりません。

原発事故よりも、より大規模で、誰しも自分ごとの話なので、より感情的な議論が繰り返されてしまっている印象があります。

 

政治家が自分のお気持ちに配慮してくれない主張をすると、その主張の統計学的・科学的におかしい(と彼らが思っている)部分をしつこくつついてきて、思うような返答が返ってこなければ、科学的に根拠のない決断をしている!と騒ぎ始める。

 

「科学的に正しいと証明された決断をいつでもすることができて、そうすればみんなが幸せになれる」という前提がいつの時代にできたんだろう?と僕なんかは見てて思うのですが、とにかく今回のコロナの終わり段階では医者という存在が総体として社会の正常化の邪魔になっているような気はします。

 

 

多分、何か誰にも分からないピンチがやってきたときには、「専門家」とまではいかなくてもとりあえず詳しそうな人の意見をはじめは聞く。それは必要なことでしょう。

ただ、「ピンチ」というものを相対化して評価して、すごいピンチなのか、はたまたそんなに大したことないピンチなのか?を決めるのは政治家なりリーダーの大事な仕事であり、どこかの段階ではじめに出てきた「専門家」を切り捨てる時は絶対にやってくる

熊谷さんが「もうこれでこの話題は終わりにします」と言っているのは、つまりそういうことなんだろうなと思ってみています。

 

考えてみれば、「お気持ち」に配慮した言動をとらないと票を集められない政治家という生き物が、正しい判断をするためには「お気持ち」を無視しなければならない、というのは大きな矛盾だな、という気はします。

 

ただ、今回ツイッターでまともに議論してくれるような政治家の方を医クラで一斉に叩いて喜んでいますが、公的な存在に対するリスペクトの気持ち、あるいは畏れのような気持ちを忘れてはいけないよ、と見ていて思います。

 

厚生省の役人が病院にやってきた時の、いつも偉そうにふんぞり返っている病院幹部のヘコヘコぶり、忘れられません。

そしてあの役人たちですら、やはり政治家というのを怖いと思っているわけですからね。

 

個人的に面白いなと思ったのは、医者ってやはり理系なので、原発事故のときは「放射脳」を馬鹿にするスタンスをとっている人が多かったのに、今回のコロナで目立つ医クラは、どちらかというと「コロナ脳」側の人が多いな、という点でした。

 

人間の考え方は、やはり自分の置かれたポジションから自由にはなれない。

僕の考え方だって、多分自分の今いるポジションから生まれてきているものなんだろうな、と思ったりします。