こんにちは、ロスジェネ勤務医(@losgenedoctor)です。
テレビやネットで最近LGBTの話題を目にします。
岸田総理に近い人がLGBTの人に対する差別発言としただとか、いわゆるLGBT法案に関する話題など。
僕はLBGT(性的少数者)の話題を目にすると、2つのことをいつも考えます。
まず、LGBTを社会の中でどんどん認めていく、LBGTの人たちが特段不自由を感じずに行きていけるというのは素晴らしいことだと思うんです。
世の中ほとんどの人がLGBTではないわけで、そんな中でマイノリティとして生きていくのはきっとつらい。でも何か彼らが選んでLGBTになったというよりは、生来そういう人として産まれてきたわけです。
例えば、自分の子供がLGBTである可能性だってあるわけです。
そんな場合でも、自分の選択ではない部分で一生不自由を感じて生きていくことなどなく、堂々と人生を楽しめる。
それは素晴らしいことだと思いますし、親としても安心です。
一方、このLGBTなりマイノリティに優しくなっていく世界、それが100%正しい世界であって、人間社会はこうなっていくべきであるという意見にも違和感があります。
確かにそれができれば素晴らしいでしょう。しかし、一口にマイノリティといっても、LGBTのような"メジャー"なマイノリティもあれば、もっと数は少ないが話題にすらならないマイノリティもあるはずです。
人が何で生き辛さを感じているかなんて分かりません。表に出てくるのなんて、きっと一部に過ぎないでしょう。
すべての人のすべての"マイノリティ"の部分に対して配慮し続けることは実質上無理だと思うんですよね。
LGBTの話などは、欧米特有のリベラル的な現代的宗教感覚の域を出ない、と僕は思います。
宗教だから、LGBT を嫌うか認めるかに関しての議論は許されず、とにかくLGBTを否定するような意見を言うと徹底的に攻撃され、擁護しようものなら擁護した人までやられます。
完全に自己矛盾をはらんでいて、LGBTが生理的にどうしても嫌だ、という人がマイノリティになった現代、そういうマイノリティは保護されないという。
しかし、そういったことを全部理解した上で、現代に生きる大人というのは、LGBT差別をなくしましょう、というスタンスをとるしかないのです。
サスティナブル、SDGsなどの流行語は、一番無駄使いをして人種差別的な感情を持っているタイプの国から出てきます。
そういう考えが素晴らしい新しい考え方で、人類が進むべき道だ、と単純に思っていそうな人を見かけると、少し考えが足りないんじゃないか?と思うときがあります。