こんにちは、ロスジェネ勤務医(@losgenedoctor)です。
この間テレビでニュース番組を見ていたら、イチローが高校へ野球を教えに行っている場面をやっていて、そこでイチローが言っていた「綺麗な野球」というのが面白かったんですよ。
↑まさにその動画がYou Tubeに上がっていました。
簡単に説明すると、送りバントをしたら、一塁から二塁へ向かう走者がアウトになったんですね。バッターがあまり良いバントができなかったわけです。
そして、その走者だった選手がイチローに「いまのでセーフになる方法はあったんでしょうか?」と聞くわけです。
イチローは、「あるかもしれないが、それは画として綺麗な野球ではない」と言うのです。
つまり、例えばバッターがバントの構えをした時に、一塁で普通より大きくリードをとっていれば、その時のようにいまいちなバントでもセーフになるかもしれない。
でも、それは大きなリスクをとって(牽制でアウトになる確率も上がる)、ワンチャン狙うというようなやり方で、それでたとえ結果が良くてもそれは長い目でみると良いことではない。
僕はそういう風に理解しました。
走者も普通のリードで、バントが打たれたらいいタイミングで走って良い走塁をし、バッターはできるだけ良いバントを決め、守備の選手もなるべく良い守備をやる。
成功確率のなるべく高い、基本に忠実なプレーをみんながやって、その場面場面で勝ち負けが決まる。
人間のやるプレーですから、うまくいく時、普通の時、失敗する時、ある程度ゆらぎが生まれるのは当たり前。
よりその時うまくいった方が勝つ、それが綺麗である、ということでしょう。
選手がやるべきことは、日々の練習で基本の実力を上げ、「うまくいく時、普通の時、失敗する時」そのすべてのレベルをより一段高いところへもっていくことであり、実力がないのに、うまくいかなかった時でも勝てるようなトリッキーな方策を探ることではない。
なるほどな、と思いました。当たり前のようで、勝ちたいと思うあまりに忘れてしまいそうなことです。
これは野球だけに関わる話ではありません。
普通に生きていたって、つい努力せずにちょっと変わったことをやって、たまたま成功してしまい、また同じようなやり方で次も乗り切ってしまおうか、という気になってしまうことだってあります。
そんなことをせず、日々実力を向上させ、できれば調子が悪い時でもちゃんと勝てるような力をつける。
負けたら負けたで、美しくそれを受け入れる。
それでいいんですよね。
逆に、人生で勝ち負けが決まりそうな場面で、これを思い出すのもいいことじゃないでしょうか。
実力が拮抗していれば、相手がうまくいけば負ける、こちらがうまくいけば勝つだけの話です。そこにもがく必要はなく、美しく勝ち負けを逍遥として受け入れれば良いのです。
そう考えるとすごく楽になる場面ってたくさんありそうです。
イチローさんは、特に僕は世代的に大好きなんですが、やはりいつ話しているのを聞いても未だに学びのある人です。
「教えて!イチロー先生」なんて見ていると、永遠に見ていられます。
彼を見ていると、「自分の言葉を持つ」ことの大切さを思い知らされます。
そんなにキャッチーだったり、すごくバズりそうな奇をてらったことじゃないけど、自分から本当に出てきたオリジナルの言葉というのは魅力があります。
おこがましいですが、僕もこのブログやTwitterでいつも心がけています。
気付かないうちに誰かの受け売りみたいなことばかりになっていないか、いつも気をつけるようにしています。