ロスジェネ勤務医の資産形成ブログ

ロスジェネ世代麻酔科医師のコッカーマリンです。資産形成や日々のことについて感じたことを書き綴ります。

ワールドカップの決勝への反応をみて感じたこと

こんにちは、ロスジェネ勤務医(@losgenedoctor)です。

 

ワールドカップが終わりました。

僕はまさににわかファンなので、決勝はタイムリーには見ていなかったのですが、SNSの反応は朝起きてから色々とみていました。

 

思ったのは、人間というのはなにかに詳しくなるほど自分ごとになるものなんだなぁ、ということでした。

サッカーが普段から好きな人は、メッシについてどうとか、他の参加国についての話なんかを熱を持ってずっと語っていました。

 

僕は詳しくないので、日本は敗退以降は興味をだいぶ失っていたわけですが、詳しい人にとってもきっとエムバペが凄かろうが、モドリッチが素晴らしかろうが自分の普段の生活には関係がないはず。

なのに、どうしても自分ごとになってしまって、いくらでもあれやこれは話せる。

 

これは別にサッカーに限定したことではないけど、みんなそういうものがあります。詳しいこと/好きなことに関しては、とくかくどんな些細で遠くの話であっても、自分ごとになってしまう。

 

それぞれが自分個別に好きなものがあって、それに関してはとにかく頑固が考えがあったりしても何も問題ないのです。

しかし、社会のほとんどの人が同じテーマについて詳しくなって、自分ごとになりすぎると、かなり多くの弊害がでます。

 

コロナパンデミックに当てはめて考えてみると、コロナに関してはみんなが自分ごとになりました。

毎日テレビやネットで新しい話が出てきて、みんなコロナについて詳しくなった。

それぞれが、それぞれの自分ごとなりの正義を持って、強固に意見を戦わせるようになりました。

 

よく考えると、それは結構異常なことなのです。

コロナに対する考えが、自粛派か、自粛反対派であるかに関わらず、みんながやたらと過剰にそれについて考えること自体が大きな問題だと僕は思います。

 

実のところ言うと、コロナが正味で重要な問題である人はいますが、合併症のある高齢者であるとかそういうリスクのある人達であって、ほとんどの人にとっては他人事でよい部分も多いはずです。

 

コロナのことをそんなに自分ごとに真摯に考える必要のない、もしコロナに感染したところで風邪程度の症状しか出ない人が、コロナに詳しくなり、大量にそのことについて自分ごとのように考えてしまっている。

例えば日本人の90%がサッカーに詳しくなって、ワールドカップが終わってもずっとブラジルやヨーロッパのサッカーについて話し合っているようなものじゃないかと思うのです。

 

今後はPCR検査の実施回数も徐々に減っていて、だんだんと「真面目」に感冒症状で医療機関へ受診する人も減っていくことでしょう。

 

コロナの変異株や他国の感染状況などの話題も減ってきていますし、自分ごととして考え過ぎる人はもっと減っていくとは思いますが、人間というのは問題に対して、「ちょうど良い」問題意識を持つというのは簡単なことではないのだ、と改めて考えたりしました。