こんにちは、ロスジェネ勤務医(@losgenedoctor)です。
サッカーは全然詳しくないんですが、ワールドカップ、僕も勝手に盛り上がっていました。
選手のみなさん、最後はとても悔しかったと思いますが、見ているこちらとしては若い人が情熱を弾けさせて、力の限りを尽くす姿にとても感動させていただきました。
今日テレビを見ていたら、森保監督の続投の話題が出ていました。
続投させるのか?
はたまた、今回のチームは結果的に良いチームだったけどまだまだチームをグレードアップさせるためには敢えて変えたほうがいいんだ、みたいな意見もあるみたいです。
これに関してて僕はよく分からないのでどちらでもいいんですが、「チームとしてのアップグレード」って一旦何なんだろう?って思ったんですよね。
考えてみると、代表チームって何年か経ったらほとんど入れ替わるくらい変わるし、日本代表チームとして継続して徐々に伸びていく部分ってあるんでしょうか?
スタッフや選手が入れ替わっても「日本代表チーム」という一つの生き物として成長するようなものなのか。
僕がなんとなく日本代表が強かったときのイメージは、小野伸二、稲本潤一、中田英寿、中村俊輔選手たちのいた時代なんですよね。
あのような「個」がたまたまいたときは強くて、いなくなったら永遠に失われてしまうような部分というのも、きっと一部にはあるんだと思います。
しかし、多分あの時のチームより、今のチームのほうが強いということなのだと思います。
つまり、選手は入れ替わってて、何かしらずっと継承されていって、徐々に足腰が強くなっていくような、そういったものがあるのではないでしょうか。
日本サッカーは、いくらいい選手がいても、代表を引退したり選考から外れたりして、新しい血をいれることで、チームとして強くなってきた。
そう考えるのが自然な気もします。
翻って、日本という国はどうか?と考えてみると、まさにそういう新陳代謝がずっと起きなかった社会だと思うんですよね。
ある時期に良かった、例えば高度成長期やバブルの時代でしょうか、そういう時代に現役だった人がまだ現場でふんぞり返っていて、新陳代謝が全然進まない。
若い人が選ばれて、しばらくはこいつにやらせると決める。最初はミスをしても、それでも伸びていくのを我慢強く見守る。そして、未来には組織としてさらに強くなっていく。
そういうことがまったくできずに、ずっと無難な前時代のメンバーで「続投」を繰り返した結果、むしろ組織が以前よりも劣化してしまった。
そんな場所は、日本のあちこちにたくさん見受けられる気がします。
経済成長で明確に世界に劣後していて、負けがはっきりした今となっても、いまだに日本社会は変われません。
サッカーと一般社会はもちろん違いますが、日本代表チームの素晴らしい活躍を見て、そんなことを考えました。