ロスジェネ勤務医の資産形成ブログ

ロスジェネ世代麻酔科医師のコッカーマリンです。資産形成や日々のことについて感じたことを書き綴ります。

異常なSNS脳に気付く

こんにちは、ロスジェネ勤務医(@losgenedoctor)です。

 

ブログは腰を据えて30分くらいはかけて書かないといけないので、ついついサボってしまい、今回のように2週間位空いてしまったりします。

 

それにひきかえSNS、僕の場合はツイッターですが、とにかくすごくたくさん投稿してしまいます。

忙しいとされている医者という職業ですが、僕の場合今の病院にきてからは暇なので、あれやこれや投稿することを考えたり、人の投稿を読んだりする時間があるわけです。

ドロっぽ医の超無駄な時間の使い方の見本みたいなものです。

 

よく考えてみると、SNSに一生懸命投稿している人は、僕みたいな医者も含めてたくさんいるし、芸風もさまざまです。

でもみんなとにかく何かを投稿したい。

 

よく考えたら不思議ですよね。

人生の中でもっとも重要な「時間」を奪われるし、変に炎上して不快な思いを一定の時間感じることもある。

「有意義に人生を過ごそう」とか意識の高いことをいっている人ほど、SNSを活用しがちというのも面白い。

 

歩いていて面白い看板なんかを見つけたら、"面白いなぁ"と自分で一人感じるより、まずスマホを取り出します。そしてシェア

その投稿へのみんなの反応がとても気になるわけです。

 

美味しそうに華やかに盛り付けられた料理を見たら、ワクワクして箸に手を伸ばす前に、写真を撮ってシェア。

"美味しそう!"、"すごい!"、"これどこの店?"、そういう反応が返ってくることが、冗談抜きでその料理を実際に食べて美味しかったことより重要になってきているのです。

 

僕自身もそうで、なにかぼけっとニュース記事を読んでいると、「お?」と思うネタがでてくる。

ヤフーニュースみたいな誰でも読んでそうな記事だとシェアしようとも思わないのですが、まだあまりシェアされていなさそうな"話題になり始める初期の記事”とかだと、とりあえずシェアボタンにカーソルが伸びるのです。

 

本来なら僕はその時、自分の頭の中で「なるほど」と思えばそれで十分だったわけですし、記事を書いた人にとってもそれで十分だったかもしれません。

だって誰かに向けて書いた記事が、誰かの心に「なるほど」という感情を起こすことができたわけですから。

しかし、僕の心の中だけで何かを感じる、それではSNS脳になった僕は全然満足できなくなっているのですね。

 

アマゾンやグーグル、フェイスブックやツイッターなどのデータを扱う世界の巨大企業たちは、私達から無料でデータを提供させて、我々自体より、我々が欲しい物や事をよく知っていて、我々に教えてくれます。

 

アマゾンを検索して出てくる商品、グーグルの検索結果の順番はアマゾンやグーグルが決めています。

我々は自分でその中から選んでいる「つもり」ですが、本来大量にある情報の中からほんの数点のサンプルにまで落とし込んでいるのは巨大企業側なのです。

 

ツイッターも最近アルゴリズムの変更があり、以前はフォローしている人の投稿が、投稿された順番通りに並んでいましたが、いまではフォローしていない人の投稿も、投稿の順番もバラバラに、なんらかのアルゴリズムに従ってタイムラインに並んできます。

要するに、我々がツイッターで何を目にするかは、我々ではなくツイッター社が決めているわけです。

 

そこに始めは違和感を感じながらも、知らない間に皆慣れてしまい、多分今では単純に順番通りに並んだタイムラインに戻ったら、つまらないと思うかもしれません。

いくら自分は"自分が作った最強のタイムライン"の方が面白いのに、と思う人がいても、多くの人はツイッター製タイムラインの方を選びます。

グーグルの検索アルゴリズムが取り払われたら、みんなこの世の知識からはじき出されたように感じるのではないでしょうか。

 

そうやって人々は飼いならされているうちに、むしろみなデータの一部になりたがっていきます

いいねがたくさんついたツイッターの投稿を毎日たくさんみて、自分が買おうとしているアマゾン上の商品のレビューを読んで大いに参考にしているうちに、データというもの自体にすごく価値があり、アップロードしなくてシェアしないデータに意味がない、と無意識のうちに感じ始めているのです。

 

なので、美しい景色を見つけた時に、自分だけが感動することに意味を見いださなくなっているのです。

写真をとってインスタグラムに投稿し、その反応が多く返って来ることこそが「体験」として意味がある、と皆が実は思うようになっている。

 

「これが自然で、そうなる流れだからいいのだ」と思うか、「異常なことであり、巨大ネット企業に自分たちのデータを持ちされることに危機感を感じるべきだ」と思うかは意見が分かれるかもしれません。

 

しかし、僕はこの話を考える時、農耕時代のはじめ一部の動物を人間が家畜化した際に、人間に都合の良い性質のおとなしい個体だけを集めて品種改良した結果、野生のオオカミに襲われた時に弱い個体ばかりになったので、オオカミを駆除する結果になったという話を思い出します。

もともとの野生の羊やヤギは、オオカミにそんなに簡単にやられてしまわなかったのに、家畜化された結果ほぼ無抵抗で食べられるようになってしまったのです。

 

美味しそうな食べ物を見た時に、シェアすることばかり考えていると、きっと以前より深く味わうことができません。

写真を撮ることばかり考えていると、美しい景色そのものに心が動かされにくくなるのかもしれないと思っています。

 

意識的にSNS脳から離れるようにしていくことが、長期的に考えると人間として豊かな感性を保ち続けるのには必要なのかもしれないな、と最近よく感じます。