ロスジェネ勤務医の資産形成ブログ

ロスジェネ世代麻酔科医師のコッカーマリンです。資産形成や日々のことについて感じたことを書き綴ります。

医者のポリコレ棒的発言を見て、いつも思い出してしまうこと

こんにちは、ロスジェネ勤務医(@losgenedoctor)です。

 

先日の記事たくさん読んでいただいているようで、ありがとうございます。

この話題については、僕と同じような違和感を感じている方が多かったということだと思います。

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この続きというわけではないんですが「医者のポリコレ棒」ということを思う時、いつも思い出してしまうことがあります。

 

ある宗教を信仰しておられる方で、「輸血拒否」という希望をされる患者さんがいます。

医者ならだいたい誰でも知っていると思いますが。

 

実は麻酔科は関係が特に深い分野です。

手術で出血した場合に、そういう患者さんの場合は輸血ができないので、患者さんの全身状態を管理する麻酔科医としてはいろいろと大変なわけです。

輸血をできない状態では、この手術の麻酔は受けられません、という主張をすることも当然できます。外科は手術をしたいが、麻酔科が拒否して手術が流れる、ということすらあります。

 

医学の教科書にも、出血してこういう状態になった場合は、治療手段として「輸血」しなくてはいけません、と書いてあります。

輸血されすれば目の前の命が助かるのに、という状況で、ましてや人の命を救うために医者になった我々が、何もできないわけです。

 

しかし、輸血を絶対的に拒否します、という意思表示をしていた患者さんに、医療側がどうしても必要だということで輸血を施行し、そのあと裁判になって医療側が負けた、という判例などもあり、今では患者側が輸血拒否という意思表示をはっきりしていた場合、輸血はどんな理由があろうとも(そのために患者が亡くなったとしても)、してはならないということになっています。

 

つまり、患者の自己決定権がその患者の命よりも重要なのである、ということが社会のコンセンサスなのであろう、と思っています。

自分に関する人間の自由な決定は、その人の命よりも重要なわけです。

我々にできるのは、その自由な決定によって、自分の命に実際的にどのような影響が及ぶか?を専門家として説明するしかありません。

命を大切にして欲しい、と願うことすら、こちらの主観が入っているのでアウトなのかもしれない。

 

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この自由な自己決定権の素晴らしさ、というものについての捉え方が日本と他の国では違ったりするのでしょう。

 

コロナでの医者クラスタのポリコレ棒の話で感じるのは、医者(医療者全般?)は命の大切さ、という方ばかりを重視しすぎているのかな、ということです。

明らかに輸血をすれば生きられるのに、という状況でも、患者が嫌というのならその意思の方が重視されます。

大人数で飲み会をやったらコロナに罹って死ぬかもしれないんだよ、といっても患者がしたいならそちらの意思が重視されるということなのかもしれません。

 

しかし医者クラスタの一部で、このあたりをしっかりと理解せず、命や健康に悪影響のある選択をした人を「間違っている」「馬鹿なことをしている」と揶揄するような発言が見られるような気がします。

ついそう感じてしまう気持ちはすごく分かるのですが、それは間違っているので注意しないといけません。

 

もちろん輸血拒否と違い、コロナは自己完結しないというか、周り影響が及ぶので全く同じ話だというつもりはありませんが、基本的考え方として抑えておかなくてはいけないことでしょう。