こんにちは、コッカーマリン(@losgenedoctor)です。
もうすでにちょっと古い話題ですが。。
安倍晋三首相が辞任されて、それを受けた石垣のりこ氏のツイートが炎上していましたね。
総理といえども「働く人」。健康を理由とした辞職は当然の権利。回復をお祈り致します。
— 石垣のりこ (@norinotes) August 28, 2020
が、「大事な時に体を壊す癖がある危機管理能力のない人物」を総理総裁に担ぎ続けてきた自民党の「選任責任」は厳しく問われるべきです。その責任を問い政治空白を生じさせないためにも早期の国会開会を求めます
思想的な意味で保守かリベラルかで受け取り方はいろいろだと思います。
敢えて今このツイートの内容については取り上げませんが、僕がこれを見て思ったのは、SNSって本当に情報インフラになったんだなぁということでした。
彼女が主張したいことはさておき、あのツイートの書き方はどう考えても問題があるし、一般に支持を広げたいはずの政治家および所属する政党にとってマイナスに働くのは僕みたいな素人にだってダメだと分かるわけです。
そんな明らかに損しかしない発信が、それでも世に出てしまうということです。
旧来のメディア、テレビとか新聞とかは、たとえ偏向していたとしてもうまくオブラートに包んで分かりにくくなるように設計されています。
SNSはその点、発信する人の頭の中をそのまま描き出してしまう。
「立憲民主党はこういう考え方をする議員がいる政党である」ということをわかりやすい形で伝えてくれるので、やはりツイッターは神ツール https://t.co/Q4l1PdzE36
— ロスジェネ勤務医 (@losgenedoctor) August 28, 2020
よくツイッターなどでも、内容より使う言葉の表現や文面から湧き出てくる書き手の感情とか、そういう「印象」みたいなのしか受け手には見られていないよな...と感じることがあります。
あぁ、(この人は何か怒っているんだな)とか、(子供っぽい下品な言葉使う人間なんだな)、くらいしか残らないというか。
それがその人の本当の姿なのかといったら、それも違う気もします。ぱっと感じたことを大脳皮質でいろいろ変換してアウトプットする、その最終的に出てきたものがその人の本性に近いのかもしれないし。
でもSNSって手軽すぎてつい書き込んで、原始的な感情に近い面だけが漏れ出やすい傾向がある気がします。
政治家とか芸能人がツイッターやインスタでそういう生身の部分(の一部?)をどんどん出してしまってきているんですよね。
石垣のり子さんも、普通に接したらきっと普通の人ですよ多分(知らんけど)。
だけどツイッターで感情が高ぶった状態で、理路整然と140字に収まるよう簡略に思ったことを書いたら、あんな感じになってしまうのかもしれません。
ちょっと考えると、立憲民主党の執行部としたらこういう人たちにSNSで勝手に発信させるのやめさせたらどうだろう、と思うんですが、始めに書いたようにそれこそSNSがもう完全に社会のインフラになってしまっているんでしょうね。
執行部が党員に「SNSで発信するな!」とか「事前に執行部のチェックを受けよ」とかやれる時代ではない、ということでしょう。
そういえば僕「ロスジェネ勤務医コッカーマリン」として鑑みても、ツイッターでの発信とブログでの発信ではちょっとキャラ違うような気がします。
ツイッターだとなんかいつも怒ってる感じ。ブログでは多分そこまでではないと思います。
多分両方が本当の自分で、アウトプットする媒体によって表現の仕方が変わってしまい、受け取る側からすると違うように見えるということなんでしょう。