こんにちは、コッカーマリンです。
今日の夕方、政府から来週以降の小中高の休校要請が発表されました。
もう大騒ぎになっています。
学校からコロナが蔓延することを防ぐという意味が大きいのだと思いますが、小さい小学生がいる家は子供をみるために親が仕事を休まねばならず、全国一律でそれをやられると社会のインフラが止まってしまう可能性が高いという懸念があります。
また、親が仕事に行っている中で子供だけ家においといても、家の中で感染するだけだから意味がないという意見もあります。
どの意見も確かだな、と思う一方でとにかく政府が決めてできることからやらないとだめだよな、ということも考えていました。
とにかくこんなに騒然と社会が掻き乱されるのを見るのは初めてです。
影響される人の数ということではもうリーマンショックを超えているのではないでしょうか。
とにかく本当に危機が迫っているときというのは国というのは有無を言わせず、議論なんてせずどんどん決めて国民にいろいろ強制してくるんですね。
大げさかもしれないですが、戦時中とかこんな感じだったんでしょうか。
政府は強制し、情報を正しく出さず、国民は嘘か本当か分からない話をいろいろ言い合っている。
別に現代になって人間が進化したわけじゃないんですね。
親が子供を自分たちだけでみられない、共働きが増えたこともこういう場合の社会の脆弱性の一因ですよね。
社会のインフラに頼らないと生活できない人たち、それは平和でゆるふわな世界だからこその存在だと改めて感じさせられました。
例えばうちは専業主婦ですから、子供が学校いけなくなっても別に世帯の社会における生産性というのは落ちないわけです。
社会システムが子供をみられない状況になった場合、共働き世帯は生産性が落ちるわけです。乱暴な言い方をすると、共働きだと社会がピンチなほど役に立たなくなるのですね。
今まで共働きが新しい社会の姿で、女性の社会進出!、とかやってたわけですけど、そういうのも前提として社会が安定していて余裕がある、というのがあったということです。
より優れた新しい社会の形、というわけではなく単なる幻想だったのかもしれません。
だからといって専業主婦みたいなのが本来の姿である、ということが言いたいわけではありません。
物事は何が新しくて正しい、というような一元的な見方をしてはいけないな、ということですかね。
本当にこのコロナ騒動、風雲急を告げてきた、そんな感じがします。
株もヒドイことに...(T_T)
藤沢数希氏が言っているように、after Covid-19の世界にシフトするような、そんな時代がくるのでしょうか。
僕はまだ楽観視してるんですけどね。
個人的には米中貿易戦争の方が先が見えない感じで怖かったですね。戦後の資本主義拡大の流れの大きなパラダイムシフトかと思ったので。コロナなんて全然怖くないですよ。
— ロスジェネ勤務医 (@losgenedoctor) February 26, 2020