ロスジェネ勤務医の資産形成ブログ

ロスジェネ世代麻酔科医師のコッカーマリンです。資産形成や日々のことについて感じたことを書き綴ります。

これからさらに医療が発展することに意味はあるのか

こんにちは、コッカーマリンです。

 

普段臨床の現場で接する状況、患者さんやそのご家族を見ていて思うことがあります。

使う薬や機器の値段、関わる人の人件費(もちろん自分の給料も入っています)なんかに思いを巡らせ、そのコストによって達成される目的を鑑みるとやはり疑問を感じないことがありません。

 

今の病院では、施設からやってくるような誤嚥性肺炎、90歳超え認知症の大腿骨頸部骨折、、

以前の病院ならTAVI(経皮的大動脈弁留置術)、移植医療全般、ICUで血液透析、などなど。

80歳、90歳超えた高齢者に何十万、何百万、場合によっては何千万です。

生命に軽重はないのでそういうふうにお金が使われているのですね。

お金だけではなく、労力もかけられていますが。

  

医療はもともと人を幸せに、元気にすごせるようにするものでした。

そして医療技術の進化と公衆衛生の向上によって、治らなかった病気が治り、痛かったものが痛くなくなりました。

 

ずっと医療は発展を続け、人間を幸せにしてきました。

その長い間、医療の費用対効果が優れていたということはいえると思うんですね。

ワクチンとか、消毒技術とか麻酔とか、とても低いコストで大きな成果が達成されます。

 

その結果基本的に「医療はいいものだ」という観念が世界中の人々のなかで醸成されたと思うんです。

だから医者はエリートだし憧れの職業だったりするわけです。

 

しかしいつの間にか、医療で達成される「幸せ」はプラトーに達しているのに、コストは上がり続け、費用対効果が下がっていった。

やはり人がいつまでも生きないのと同じで、本当は医療の発展にも限界というものがあったんだと思います。

 

医療が膨張し続け、医療に対してお金がたくさんかかるようになり、それを国全体で負担するために社会保障費も膨張する。

これは日本だけの問題ではありません。

 

そのために元気な若い人が使える可処分所得が減って、彼らは人生を楽しめない。

社会保障費が主原因で国が借金だらけになって、経済が良くならないので将来の希望もない。

 

世代間の損得、という視点で見ると世代間の不公平、みたいな話になってしまうので意味がありません。

今の高齢者だって、そんなこと言われても困るはずです。

 

日本という国を一人の人間と考えてみたらいいんです。

死ぬ最後の10年くらいで医療費がたくさんかかるせいで、現役時代の月給が40万もらえるはずら20万くらいしかもらえないようなものだとしたら、それってなんかおかしいと思いませんか。

殆どのひとは年をとって思うように何もできなくなってから10年間介護受けて生きながらえるより(認知症で何も分かっていないかもしれない)、現役時代給料があと10万増えることを望むのではないでしょうか。

 

結局今は医療が人を幸せにしていないのではないか、と思うんですよね。

個別の患者さんでいうと、もちろん医療が幸せに貢献しているケースはたくさんある。

しかし全体としてみたら費用対効果が悪くなりすぎて、国を不幸せにしてる、僕にはそうとしか思えない。

   

 

 僕のような意見を持っている医者はたくさんいると思います。

自分は全くそんなこと思いませんと言う人がいたら相当なアホか、もしくはポジショントークです。

 

医療がいくらお金がかかりすぎ、問題だと言っても言っている自分がそこから給料をもらっているのです。

 そこが苦しいところで、問題を認識している人ほど抜本的な改革の声を上げるインセンティブがない。

 

 

 なので、僕はむしろこの現実に対してうまく対応して処世していくほうが誠実だと思って今の生き方を選んでいるところはあります。

どうせ日本を幸せにしていない「医療」というものに時間と精神を捧げて頑張るより、楽で給料が高い職場で居たほうがいいじゃないか、ということです。

まぁ給料はそんなに高くないですが...

 

今の医者の多くは身と心を削って全力で頑張っていますが、それによって結果的に誰かを幸せにしている量が、不幸せにしている量より多いんでしょうか。

 

いちいち言語化しないだけで、そういう考えの人は多いんじゃないかと想像しています。

ただ、目の前に子供が心臓の病で苦しんでいる、一家の大黒柱がこれからというときに悪性腫瘍になった、そういうのを助けたい、費用対効果なんてクソ喰らえだ、という気持ちはもちろん分かります。

 

そういう人がいるから、医療の仕組みが今でも成り立っていて、国民も安心して人生をすごせるという面がある。

医療をある程度のレベルを保ったまま、継続可能なものにするためにどこかで線引きをしなければならないのですが、民主主義の世界ではそれをやれる人は出てこなさそうではありますね。