こんにちは、コッカーマリンです。
ツイッターでよく罵り合いみたいなの見ますよね。
医者を多くフォローしてるので医者同士のやり取りがよく目に入ります。
結局感じるのは、
「自分が悪かったです認識不足でしたというつもりが絶対にない」
人とネット上で(しかも140字)やり取りしても全く意味がないということです。
自分も含めて、多少学のある人間って、相手の揚げ足をとったり完全に間違っている言質をとってそこを攻めてぐうの音も出なくしてやりたい、と思ってしまうんですよね。
しかし例え完全に間違っている点をついても絶対に議論で負けるつもりのない人は別の言い訳をし始めるので埒があきません。
はなっから意味がないんです。
ほっといたらいいんですけどね。
しかしツイッターを始めてからの発見なのですが、自分もしくは自分の属性に向けられた悪意のあるネガティブな言葉って、目にするといくら悟ったつもりになっていても腹立たしい気持ちになるんですよね。
これって「言葉の力」だと思うんですよ。
別に実際に殴られたり、たくさんの人の前で人格否定されて恥をかかされてるわけじゃない。
だれかがネットに言葉をのせてて、それを目にしただけです。
書き込んだ人は大抵社会的に影響力のあるような人ではないし、自分を本当に否定できるほどいろんなことを知っているわけないのでまさに便所の落書きみたいなものなんですが。
しかし言葉、というか実際に言われてるわけじゃないので活字に過ぎないんですけど、とにかくすごい心にグサッとくるんですよね。
完全に大脳辺縁系、反応してます。
みんなグサッときたこと隠しますけどね、相手の思うつぼだし。
逆に自分が相手に返した否定的な言葉も相手の心に刺さっているはずです。
相手もグサッときたこと隠すでしょうけど。
言葉の力というのは本当にすごい。
ツイッターならミュートしたりブロックして目に入らないようにすればいいんでしょうけどね。
しかし自分の見えてないところでそういう投稿がなされている、というのは分かるのでなんとなくいつも気になる、なんてことありますよね。
自分に向けられたネガティブな感情に対してそういう気持ちになるようにできている、そういう人間の脳の仕組みに興味があります。
頭でこんなの便所の落書きだ、って分かってるのにイヤな気持ちになるのを避けられないんですよ。
お金がとられるわけじゃないし、勝敗がはっきりついて判定されるわけでもないのに。
面白いですよね?
昨日のイジメの話とも似てて、どうも自分の頭で考えて解決できること以上の脳の仕組みとか、社会的生物であるヒトというものが逃れられないドグマ、そういうもので人間って支配されているような気もします。
社会的生物であることから逃げてしまえばいいんでしょうけど、社会的生物であることがヒトそのものである、という考え方もあります。
やはり社会のなかで普通に生きる他の大半の人と同じように生きるしかなくて、同じドグマのなかで自分も生きるしかないのでしょうか。
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