ロスジェネ勤務医の資産形成ブログ

ロスジェネ世代麻酔科医師のコッカーマリンです。資産形成や日々のことについて感じたことを書き綴ります。

イジメはたんなる現象に過ぎない

こんにちは、コッカーマリンです。

 

神戸のいじめ教師の話。

加害教師、ちょっと頭おかしいんじゃないかっていう論調まで出てますね。

biz-journal.jp

精神科医はいろんな病名すぐつくるので、いわゆる「病気」なのかどうかは僕にはわかりませんけど、そう考えないと理解不能であることは確かです。

 

しかしイジメの話が出るたびに思うのは、個別のイジメの話をクローズアップして語ることはほとんど意味がないんじゃないかなぁ、ってことです。

 

だってイジメってもう高度に社会化されたヒトっていう生き物には絶対備わってしまう仕組みじゃないのかと思うんですよね。

 

学校であれ会社であれ、社会の中で暮らす生き物なんですよねヒトって。

近所付き合い、親戚付き合い、そんなんもあります。

高く跳べるバッタと跳べないバッタがいるように、社会生活をうまく出来るやつとできないやつがいる。

うまくできないやつがその他多くから蹴落とさせる、それがイジメという現象だと思うんです。

 

社会生活がうまくできないからダメだとか、そういうことではないのですよ。

社会というのは絶対的なものではなくて相対的なものである、というか要は社会に適応している、という個体が他の社会でうまく適応できるということじゃないということです。

イジメられているひとは「今」「その社会」で適応できていないだけなんですよ。

 

だからイジメに耐えて「今」じゃないときまで我慢するか、「その社会」ではない別の社会に変わる(転校するとか)という解決策がでてくるわけです。

イジメてるやつを公表してネットリンチするのもいいですけど、今のような話からいくと全然意味がないんじゃないかと思いますね。

 

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イジメに対する考え方で一番ダメなのは、「個別の事例」として考えることなんだとおもうんですよ。

イジメてる奴が太郎くん、次郎くん、花子さん

イジメられてるのか三郎くん

だとして。

 

太郎君は乱暴でだめだ、次郎くんは陰険でダメだ、花子さんは見て見ぬ振りをするからダメだ

三郎くんは優しくて言い返せないからこうなってしまったけど、それ自体を責めることはもちろんできないよね

 

みたいな議論が全く無意味だと思うんですよね。

「4人いて1人がいじめられた」

という事実があるだけ。

あとはイジメの程度でしょうか。

 

みんな人の心を思いやれる人になりましょう

とか

困っている人がいたら助けてあげましょう

とかいう言葉もいいですけど、そんなんじゃイジメなんてなくならんでしょう。

 

イジメなんて単なる現象であってね、だれがどういう性格だからどうやられた、ってのが全く意味ないんだと思うんですよ。

いじめられてる人がどういう性格だった、どうすればよかったのに、ってのが意味ない議論なのと同じようにイジメたやつがどう悪かったのか、っていう話も実は意味ない。

 

単なる社会的生き物である人間に備わった現象で、それが個別にあちこちで表面化してるだけだ、っていう認識が社会全体で共有されることがむしろイジメを減らすことになるんじゃないか、と僕は思います。